【蒼穹の昴】清国の革命運動と日本の関係-清国留学生たちの軌跡[コラム]

2011年02月27日08時20分ドラマ

ドラマ「蒼穹の昴」、物語は随分政治的な内容が色濃くなってきました。ドラマにのめり込むと、つい歴史を無視して光緒帝頑張れ!早く目を覚ませ!と内心応援している自分がいます。こうした激動の時代というのは空想でしかない世代に生まれた事が、なんと幸せかとも思う次第であります。この時代の清国に自分が生きていたら果たしてどう行動していたんだろうか、自分も日本に留学したりするのだろうかと考えたりします。
さて、「清国留学生」という言葉をご存知でしょうか。これはその名の通り清国からの留学生という意味で、日清戦争後から清国の若き学生たちが多く日本に学びに来た時代があったのです。具体的に言うと清からの留学生が始めて来日したのが1897年からで、その後1905年までの間に実に2万人以上もの清国留学生が来日したという記録があります。ドラマで言うと、第17話の楊喜禎暗殺の辺りから清国留学生がやって来始めたことになります。世界的に見て、この時代にこれだけの留学生を受け入れていた国というのは他には無かったようです。清国留学生を受け入れていた大学としては法政大学と早稲田大学が知られています。この時期に清からの留学生が多くやってきたという事で、日本語を外国人に如何に教えるかという、いわゆる日本語教育が確立したという歴史もあります。

清国から何故日本を目指してきたかの理由の一つに、いち早い西洋化があります。じゃあ西洋に直接行けばという意見もあるでしょうが、実際問題、地理的に近い日本への留学が費用面で安くついたというのも大きな理由だったようです。これについては私も若かりし頃、アメリカ留学より格安の値段につられて中国へ留学した経験があるので大いに共感出来るところです。そして最大の影響は、やはり明治維新にあるでしょう。明治維新というのは世界的に見てもかなり画期的な革命であり、清国を始め後のトルコ革命などにも大きな影響を与えた事が知られています。しかし、日本という国は自分を負かした国ですから、そんなところに学びに行くなんて不届きな、と守旧派が思う心情もよくわかります。
いずれにせよ、当時多くの清国の学生達が日本で政治や文化、軍事など多くのことを学んでいます。清国留学生では魯迅、孫文、秋瑾あたりがよく知られている人物で、他にも日本での留学経験を生かした人物が多く中国の歴史に名を残しています。

結局、康有為ってなんなのさ
今回は直接ドラマに関係の無いお話だったので…というわけではありませんが、名前は度々出るけれども姿の一向に出ない康有為についての著作「康有為~ユートピアの開花 中国の人と思想」をご紹介します。康有為という人物の思想とか足跡について書かれている本で、中国史的に見て花形人物というわけでもないので、この人をメインにした(日本での)本は今のところこれくらいしか無いようです。思想的な部分は難しいところもありますが、私生活の部分なども描かれているので、結局康有為ってどんな人だったんだろう…と気になった人には面白いかと思われます。西太后に嫌われまくったこの人は結局日本に亡命するのですが、伊藤博文や大隈重信や犬養毅といった人たちと交流があったり日本人女性と結婚したりと、何かとわが国とは縁の深い人であります。まだ、書道研究家として優れた著作を残しているという意外な部分もある人です。

ドラマ「蒼穹の昴」は毎週日曜日よる11時から放送です。予告および関連動画はドラマ公式サイトにて視聴出来ます。

NHKドラマ 蒼穹の昴

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