【豆知識】「おんな城主 直虎」を2倍楽しむ!今川氏の関係はここから!井伊氏の歴史を振り返ろう!PR動画公開-NHK

2017年01月07日12時00分ドラマ
ℂNHK

大河ドラマ「おんな城主 直虎」をもっと楽しく見るために!劇中では笑点司会・春風亭昇太が演じる今川氏とのビミョーな関係とは?「おんな城主 直虎」第1話がいよいよ2017年1月8日(日)より初回60分拡大版で放送スタート!番組公式サイトに2分のプレマップ動画が公開されている。
NHKオンデマンドで放送翌日より見逃し配信開始。各話のあらすじやドラマに役立つ豆知識などは【「おんな城主 直虎」を2倍楽しむ】で紹介していくので視聴の参考にどうぞ。

実在した、と言われる女城主を描く今回の大河ドラマ。主演に柴咲コウ、杉本哲太や財前直見、小林薫、宇梶剛士、阿部サダヲなどの実力派俳優はもちろん、大注目俳優の菅田将暉や三浦春馬、高橋一生、菜々緒などが登場。放送前から話題を集める大河。
今年は、そんな大河ドラマの歴史背景や登場俳優について“これを知ったらもっと楽しめるマメ知識”を【NHK大河「おんな城主 直虎」を2倍楽しむコーナー】で毎週ご紹介。ドラマのあらすじ紹介記事と共にこちらもご注目を。

記念すべき第一回は、井伊氏が置かれる状況についてご紹介したい。
今回の大河ドラマで描かれるのは直虎が生きた戦国時代なのだが、今川氏と井伊氏の関係は室町時代初期から続く根深いものがある。今回はそんな2つの氏についてご紹介していきたい。
なお今回ご紹介する内容は諸説ある中の一つなので悪しからず…。

■井伊氏創設の経緯
遠江国出典:白地図専門店 加工:navicon現静岡県浜松市に今なお残る渭伊神社。井伊氏の始まりは現代にも残る、その神社の “井戸”だったと言われている。
都は平安。藤原家による摂関政治が進められ、清少納言の「枕草子」が完成(1001年)、紫式部の「源氏物語」(1011年完成)が作られていた頃。1010年の元旦、神主が井戸の中に、まるで今生まれたばかりと思われる美しい男の子を見つける。
神主は不思議に思いながらもその美しい男の子を連れて帰り、わが子のように大切に育てたという。

そんな中、藤原共資が遠江(現・静岡県西部)に天皇の命令でやってくると、共資は神社の井戸で生まれたという男の子の噂を聞きつけ、この子をもらい受けることに。不思議な伝説の元、生まれた男の子は“共保”と名付けられ、共資の娘と結婚させて、家督を相続させた。共保は聡明で、かつ眉目秀麗、器量もよかったという。
やがて共保は共資が築いた志津城から、生誕の地である井伊谷に城を築き、移り住み、名を“井伊”と改めたという。これが名家“井伊氏”の創設経緯である。

■武士の成立と井伊氏の拡大
先述した通り、井伊氏設立の時代は平安。そして藤原氏の摂関政治が行われていた時代にある。
貴族が生まれ、一部が財を持つようになる。するとその財を盗もう、奪おうとする人間も出てくるわけで、それから財を守るために貴族はお抱えのセキュリティ的な人材を持つようになる。今でいうALSOK、それが武士の始まりである。徐々にこの武士が力を持ち始め、鎌倉時代、武士が治める時代に突入していくわけなのだが、その背景で井伊氏も勢力を拡大していった。
平安後期に行われた源平合戦の中で、源義朝に従った軍勢の中に“井ノ八郎”という人物が登場。その後も度々、井伊氏の人物だと思しき人物が登場。遠江国において井伊氏は大きな力をつけていたということがうかがえる。
そうして井伊氏は勢力を順調に拡大していくのだが、ある時代をきっかけに井伊氏に暗雲が立ち込める。その時代こそが、“南北朝時代”である。
ここから先はその“南北朝時代”についての説明を。

■南北朝時代南北朝出典:白地図専門店 加工:navicon
初めて武士が国を治める時代となった鎌倉時代。それを滅ぼしたのは後醍醐天皇であった。とはいえ、天皇だけの力ではなく、後醍醐天皇は、楠木正成や足利尊氏、新田義貞などの武士の力を借りて倒幕。しかし、いざ統治を始めると後醍醐天皇は『建武の新政』として天皇独裁体制を打ち立て、武士の所領を回収するなどの政策を打ち立て、武士階級に不満が募っていく。
不満を募らせた武士たちによって反乱が起きるが、その中心人物となるのが、足利尊氏。後に室町幕府を開く人物である。
鎌倉で起きた反乱の鎮圧に向かった尊氏は、後醍醐天皇の命令を無視し、ついに決別。後醍醐天皇の右腕である武士・楠木正成を打ち破り、ついに後醍醐天皇を屈服させる。そうして京都で光明天皇を中心とした幕府を開くのだった。
一方、それでもあきらめない後醍醐天皇は吉野に潜伏し、自らが真の天皇であると主張、これが南朝となり、南北朝時代が成立する。

■井伊氏、南朝時代そして北朝へ
こうして南北朝時代が成立するのだが、後醍醐天皇は井伊氏が治める井伊谷を討幕運動の核にしようと、宗良親王を送りこむ。“南朝側の”という注意書きはつくものの、天皇の子息を送られ、さらに後に記す通り、井伊氏には北朝に対する怒りもあったため、当然のように井伊氏は宗良親王を歓迎した。
このとき、北朝の尊氏が遠江に守護として送り込んでいたのが今川氏。今川範国である。この『守護』という役職は各国の警備、治安維持に当たるものであり、のちに拡大、守護大名となり、戦国武将に繋がっていった役職でもある。
尊氏は後醍醐天皇が宗良親王を井伊氏に送り込むよりも早く、範国を遠江に送っていた。実は宗良親王が井伊氏に来る1か月前に今川家と井伊氏の戦いは始まっていたのだ。結局その戦いは決着がつかなかったようだが、突然北朝側の人間に攻められた井伊氏は怒りに震えたことだろう。そんな中で宗良親王を送られ、井伊氏が大いに歓迎したことも頷けるだろう。
確かな資料は残っていないものの、一度目の攻め込みのあとにも、今川家は何度も井伊氏を攻め込んでいたという。
南北朝の戦いが続く中、宗良天皇を奉じて戦った井伊氏。しかし、結局、足利家、つまり北朝側に降伏してしまう。が幸か不幸か井伊氏はその後もほとんどその地位を下げることなく存続し続ける。というのも、当時、遠江の守護を務めていた仁木義長は幕府の中枢にいた人物。正直言って、他の仕事に忙しく、井伊氏が行っていた領主の仕事まで手が回らず、井伊氏が引き続きその仕事を行うことが許されたのだ。
しかし遠江守護に再び今川氏が就くと井伊氏にとっては負の歴史が始まることとなる。

■今川家の下で働く井伊氏
室町幕府も第3代義満の時代となると、南北朝時代も終わりに向けて動き出す。
当時、九州の統治を任されていた今川家は、未だ北朝の手が届いていない九州への出陣を決める。
しかし、九州の南朝のトップにいたのは宗良親王の弟・懐良親王。井伊氏がかつて奉じた宗良親王の弟を討つ戦い。もちろん井伊氏にとっては戦いたくない相手だが、今川家は井伊氏一族を意識的に戦闘の先鋒に指名していたと言われている。
この九州での戦いにより犠牲者を多く出した井伊氏だったが、今川家が遠江守護を外れたことを契機に徐々に勢力を取り戻していく。
そんな中で、世を戦国に突入させる“応仁の乱”が起きるのだった。
応仁の乱と言えば、史上最悪の“お家騒動”と揶揄されることがあるが、確実にこの争いが戦国時代突入の契機になっていたことは間違いない。
自分の息子・義尚を将軍にしたい日野富子と、現将軍の弟である義視との戦いがきっかけではあったものの、その後に様々な争いが複雑に絡み合い、美しき古都京都を焼きつくす最悪の戦いとなった。一応、西軍は義尚を掲げ、東軍は義視を掲げていたものの、実際それがどこまで意識されていたのかは定かでない。
そんな戦いの中で井伊氏は西軍に付き、戦いに参加する。一方、天敵・今川家は東軍。しかも当時は遠江の守護としての地位を外れていたにも関わらず、今川家は遠江を獲得しようと進軍する。
当時遠江の守護であった斯波家に仕えていた井伊氏は、斯波家と共に今川家の猛攻にあらがうのだが、忍びを使った巧妙な戦法や大群にはあらがえず、ついに当時井伊氏当主の直平は城を追われるのだった。

大河と、ここまでが直虎が登場するまでの井伊氏。とにかく“今川家が苦手!”ということはよーくわかる内容だが、直虎が登場して、ついに今川家に一矢報いる瞬間が!?あるかどうかは、ドラマを見てのお楽しみに。

とりあえず第一話はこれまでの井伊氏の背景を思い浮かべながら見てみれば、より一層「おんな城主 直虎」を楽しめる、かも。

大河ドラマ「おんな城主 直虎」は、2017年1月8日(日)放送スタート!(初回60分拡大版)で、毎週日曜[総合]後8:00~ /[BSプレミアム]後6:00~ 放送。Twitterアカウントは「@nhk_naotora」、インスタグラムアカウントは「@nhk_naotora」。

大河ドラマ「おんな城主 直虎」番組公式サイト
NHKオンデマンド「おんな城主 直虎」視聴ページ

【2017冬ドラマ】 【「おんな城主 直虎」を2倍楽しむ】 【その他の大河】