韓国ドラマ「オクニョ 運命の女(ひと)」時代背景は?朝鮮建国~明宗即位まで!予告動画

2018年04月08日23時50分ドラマ
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イ・ビョンフン監督作「オクニョ 運命の女(人)」(原題:獄中花)がの舞台は16世紀半ば、第13代王・明宗の治世を中心に描いている!物語をより楽しむために、当時の時代背景を知ろう!番組公式サイトにはスペシャル番組の予告動画が公開されている。

【「オクニョ 運命の女(ひと)」(獄中花)を2倍楽しむ】では、時代背景、実在の人物、キャストの魅力、各話あらすじと見どころ、豆知識などをまとめて紹介。

今回は、朝鮮王朝建国から「オクニョ」の舞台となる第13代王・明宗の即位までをご紹介。舞台は、500年続いた王朝の前期の終盤、中期だ。(以降、たくさんの表やドラマ紹介ページを開きます。確認後適時に閉じてくださいね)

では、【韓国歴史年表】で半島の歴史の全体を確認し、【ドラマの年表-朝鮮王朝】【朝鮮王朝系図】でドラマの舞台がどんな位置にあるのかを確認しよう。

朝鮮時代は高麗の将軍・李成桂によるクーデターという劇的な建国(1392年)から始まり、2度にわたる王子乱の末、1400年に第3代王・太祖が王権の強化と国家財政、国防の強化を実現。そして、譲位(1455年)によって第4代王・世宗大王が誕生した。世宗は朝鮮固有の文字・ハングル“訓明正音”や、自動時計・測雨器・天文観測機器などの科学、音楽体系の整理など多くの功績を残した。世宗の政治については「大王世宗」「根の深い木-世宗大王の誓い-」で、その功績は世宗を支えた科学者を主人公にした「チャン・ヨンシル~朝鮮伝説の科学者~」で知ることができる。また、韓国で最も愛されている世宗の若かりし頃を舞台に、現代の女子高生とのファンタジーラブコメ「ポンダンポンダン 王様の恋」もある。

しかし、朝鮮王朝随一の名君と謳われた世宗も病には勝てなかった。31年6か月の治世の後半は世子が摂政を行った。世宗の死後、世子は第5代王・文宗として即位。しかし即位当時からほとんど病床で過ごしたため王権は弱まった。王権の地位の向上と財政の安定が再びもたらされたのは、クーデターで即位した第7代王・世祖によって。このあたりを舞台にしたドラマに「王女の男」がある。ところが、王の大胆な政策に官僚や地方の豪族が反発し、政局は混迷を極めた。

1469年王位に就いた第9代王・成宗のカリスマ的な政治力でやっと王朝に平和な時期が訪れた。成宗は、建国功臣の“勲旧派”と新進官僚である“士林派”をうまく協調させ、建国以来やっと文物・制度の整備事業を完成した。(【党派の歴史】参照)

しかし、王のカリスマが裏目に出た。成宗は12人の夫人と30人近い子供がいた。一時、成宗の寵愛を独り占めにしていた王妃・尹氏は、成宗が他の夫人の元に行くと猛烈な嫉妬心を燃やし毒殺まで計画。ついには成宗の顔を引っ掻くという前代未聞の修羅場を展開した。これが王の母・仁粋大妃の逆鱗に触れ、廃位の末、賜薬(死刑)を下された。この劇的な出来事から始まるのが「女人天下」「宮廷女官チャングムの誓い」だ。また、成宗と尹氏を純愛ストーリーとして描いた作品に「王と私」がある。

厄介だったのは尹氏の産んだ子が長子で世子だったこと。世子は母が処刑されたことを知らずに育ち、1949年に即位し第10代王・燕山君となる。聖君の父王に倣って無難に政を進めていたが、生来、学問嫌いでわがまま者。忠言に耳を貸さず次第に馬脚をあらわしていく。そして母・尹氏の最期を知るやこれに関わった官僚たちを次々粛正していった(甲子士禍、1504年)。そんな燕山君の暴君ぶりを助長したのがチャン・ノクス、朝鮮三大悪女の1人だ。この二人の傍若無人、極悪非道ぶりは【韓国三大悪女-映画『王の男』チャン・ノクス編】で詳しく解説している。
燕山君と朝鮮三大義賊のホン・ギルドンと敵対させたのが「逆賊-民の英雄ホン・ギルドン」、義弟・晋城大君(後の11代王・中宗)とその夫人との切ない恋愛史劇として新解釈で描いた作品が「七日の王妃」

甲子士禍の後、“中宗反正”と呼ばれるクーデターにより、第11代王・中宗の治世が始まる(1506年)。文宗~中宗までを描いた大作が「インス大妃」だ。
中宗は、父王・成宗の政治に憧れ勲旧派と士林派との均衡政治による朝鮮の繁栄を夢みたが、悲しいかな父ほどの政治力がなかった。結局56歳で世子(仁宗)に譲位しこの世を去った。2017年3月現在、韓国と日本でほぼ同時放送している「師任堂(サイムダン)、色の日記」は、中宗の治世を舞台にしている。同時代と中宗については【「師任堂(サイムダン)」を2倍楽しむ」で詳しく解説している。

■第11代王・中宗(在位1506-1544)
「オクニョ」の第1話は1940年中宗35年から始まる。中宗についてはコチラで詳しく紹介⇒第11代・中宗は担ぎ上げられた弱腰の王?糟糠の妻は?

■第12代王・仁宗(在位1544-1945)
仁宗は1515年、中宗と2番目の妻・章敬王后(チャンギョンワンフ)・尹(ユン)氏の長男として生まれた。幼名は峼(山偏に告)(ホ、호)。字は天胤(チョンユン、てんいん、천윤)。わずか3歳で文字が読めるほど聡明だった。5歳で世子に冊封され、24年間世子としてとどまり、1544年、中宗が死去すると、王位に就いた。
生母の章敬王后が6日目で死亡し、文定王后(ムンジョンワンフ)・尹氏(ユンシ)の手で育てられるが、邪悪な文定は仁宗を徹底的に虐めた。仁宗は火事で焼き殺されそうになるなど何度も命を狙われた。即位後、善政を行おうとしたが、8ヶ月で病床に伏し、1545年、在位9か月という王朝史上もっとも短命でこの世を去った。

仁宗に後継ぎがなかったので、第13代王として異母弟である明宗が王位に就いた。僅か11歳の若き王だ。この王の治世こそが「オクニョ 運命の女(人)」の舞台である。

第13代国王・明宗についてはコチラで詳しくご紹介。

kandoratop【作品詳細】【「オクニョ」を2倍楽しむ】

NHKBSプレミアム|韓国ドラマ 「オクニョ 運命の女(ひと)」
 2018.04.08スタート 毎・日23:00-24:00 再放送、地上波初
 2017.04.02-2018.04.01 毎・日21:00-22:00 BSプレミアム、BS初