「イ・サン」登場人物とキャストの紹介-正祖のやった偉業って?史実とドラマと俳優イ・ソジン

2011年02月23日21時29分ドラマ
(c)2007-8 MBC

さあ、いよいよ最後の山場を迎えたイ・サン!第70話辺りでは、終盤の主要人物チョン・ヤンギョンが登場し、ドラマに登場する主要人物も勢ぞろい!「2倍楽しむ」コーナーでも改めて登場人物と、演じた俳優について紹介することにしよう。

ここからは、実在の人物とドラマの中のキャラクターとを比べるため激しくネタばれ有。できればドラマ全話を視聴後にご覧ください。「イ・サン」は、1度観ただけで終わるのはもったいない作品。繰り返し視聴される際の参考にしてください。【「イ・サン」を2倍楽しむ】では、各話の詳しいあらすじと見どころ、時代背景や実在人物の紹介、豆知識などまとめて紹介している。

■イ・サン(1752年~1800年まで生きた実在の人物)
第22代、正祖王となる人物で、幼い頃より文武に優れた人物。1歳からすでに書物を読むまねをして周りを驚かせ、3歳からは正式に王子としての勉強を、王子の教育機関の輔養庁(ポヤンチョン)で始める。実際のサンもドラマに劣らず聡明で、彼が6歳のときに書いた書は屏風になるほどのすばらしいさ。英祖は自慢の孫だったようだ。
祖父と父との確執で8歳にして世孫(跡継ぎ候補)となり、11歳で正式に後継者(皇太子)として東宮と呼ばれる。東宮というのは、皇太子の住まいが王の東側に在したことによる呼び名。このように当時は建物にちなんだ名前で呼ぶことが多かった。ソンヨンやテスとの出会いは東宮になる前後のちょうどこの頃。
正式に東宮となってからは、世子の教育機関である世子侍講院(セジャシガンウォン)で教育を受ける。また、ドラマでは護衛部隊となっている世子専用の護衛もついた。実際にはこの護衛部隊は世子翊衛司(セジャイギィサ)という。
「あらすじと見どころ紹介」のコーナーで繰り返し紹介したが、サンは文武に秀でているだけでなく、極めて孝心の篤い人物で、自分を貶めようとした貞純大妃にさえ礼を尽くしたといわれている。

基本的には、前王で祖父である英祖と同じ「蕩平(タンピョン)策」を採っている。蕩平策とは、王権を強くするため各派閥から偏ることなく人材を採用する策。英祖が、自分を王に推戴するため尽力した老論派に遠慮があったのに対して、正祖はもっと積極的にこの策を進めた。K-POPアイドルのJYJ・ユチョンが主演の「トキメキ☆成均館スキャンダル」は、各党派の若きエリートたちを描いた群像劇。党派については2倍楽しむの「英祖が恐れた党派、イ・サンが憎んだ党派とは(前半) 」「同(後半)」を参考にされたい。

正祖はハングルを制定した4代王の世宗につぐ名君と呼ばれ、多くの治績を遺している。(朝鮮王朝図を参照)。
まず、全国津々浦々の政情や実情を知るため、水戸黄門のような「暗行御史(アメンオサ)」という密使を全国に送っている。この密使を主人公にしたドラマが「御史出頭!」。(ドラマの年表を参照)。これで地方両班の悪政を抑え、1791年にはドラマでも描かれた私商たちの活動と地位を保障するための「辛亥通共(シネトンゴン)」を実施している。(ドラマ21-22話)
他にも、「奴婢推刷法(ノビチュセボップ)の廃止」をしている(ドラマ54話)。奴婢推刷法とは、逃げた奴婢を連れ戻す法律で、この法の下、奴婢を連れ戻して賞金を稼いだのが推奴師、ドラマ「推奴-チュノ-」の主人公だ。(詳しくは「推奴」を2倍楽しむで紹介)

これほどの名君でも国家の財政を立て直せないほど当時の朝鮮王朝は疲弊していた。そこで、儒学者たちが机上でいう質素と節約だけでは立て直しできないと判断したサンは、積極的な財源の確保に向かった。生産力の向上と農業生産の向上を図ったのだ。その上で、独りよがりになることなく、王の政治を徹底的に討論させ文化事業の推進と学問を活性化させるために、1776年に学術研究機関「奎章閣(キュジャンガク)」を設置した。「旧習にとらわれない新たな朝鮮王朝」こそがサンの夢だったのだ。47話でサンがホン・グギョンを工事現場に連れて行ったのが、この夢の建設工事だった。(それなのにグギョンは…、とまだグギョンの死から立ち直れない筆者)
こうして社会の実際の姿に向き合い改善していくサンたちの思想を「実学派」と呼んだ。この実学派で大活躍したのがチョン・ヤギョンだ。

水源華城水源華城  画像提供:KAMPOOサンはこうした数々の改革を手がけ理想の政治に向かっていくが、旧態がはびこる首都の漢城(ハンソン)では、夢の仕上げはできないと考え、父(荘献世子)の眠る水源に理想の国造りをするために「華城(ファソン)」を造った。サンは、王位を息子に譲った後、この華城で、悪習や身分などから開放され、誰もが平等に暮らせる実験都市を造ろうとした。厳しい身分制度のある18世紀末の話だ。華城は1794年に着工し1976年に竣工した。チョン・ヤギョンにより画期的な建設機器が考案され、様々な施設や頑強な軍事要塞基地としての役割も持った。またこれまで築城の際には強制的に働かせたが、華城を築城する時には賃金を支給したのもまた画期的だった。
朝鮮戦争の際に一部が破損したが、1975年から5年間を掛けて「華城城役儀軌」という築城記録をもとに修復・復元工事が行われ、築城時に48あった建物のうち、41ヶ所が残っている。この華城は、1997年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている。(華城遷都については、ドラマ「漢城別曲」で描かれている。ドラマの年表を参照)

サンの最期は、ドラマではさらりと描いているが、彼は王朝でもっとも過酷な人生を送った人物。東宮になったときから死の直前まで常に命を狙われていた。彼が夜更かしするのは、暗殺の危機から身を守るためでもあった。実際のサンの死には、貞純大妃による毒殺説がささやかれている。しかし、イ監督は、あえて最終回でサンの死をはっきりと書かなかった。そうすることで、監督は、視聴者にサンの死をいろいろな形で想像する余地を与え、時代はまだ続いているということを伝えたかったのかもしれない。
※華城についての詳しい情報や地図などは、韓風、韓国個人旅行情報サイト「KAMPOO」で詳しく紹介。→「KAMPOO」水源城のページへ

★俳優:イ・ソジン(1971年1月30日生、178cm、68㎏、A型)
苗字からして、本当にサンの生まれ変わりではないか?と思うほどのはまり役だった。彼は完璧な美男子ではない。しかし、その気品たるや数多い韓流スターの中でも群を抜いている。イ監督は、そんな彼がことのほかお気に入りのようで、「ソ・ドンヨ(薯童謠)」の主人公にも彼を考えていたそうだ。(「薯童謠」についてはこちらで紹介)

イ・ソジンはニューヨーク大学経営学を卒業した秀才で、スポーツ全般をこなす。サンと同じく文武両道だ。ドラマデビューは、1999年「波上の家」。「イ・サン」の大ヒットで、史劇俳優のイメージがあるが、史劇ドラマは、本作と「チェオクの剣(茶母)」の2作だけ。対する現代劇は「火の鳥」「恋人」「星を射る」「ワンチョ」など数多い。ところが、史劇イメージが強いのは、演技だけではどうにもならない王に必需の気品というものが、彼に備わっているからかもしれない。

彼は、初めての史劇「チェオクの剣」(2003年)で、「歴史ドラマ特有の所作や語り口には随分戸惑った」と語りながらも、臆することなく新しい型の歴史ドラマのヒーロー像を演じた。当時の歴史ドラマでは、主人公は、骨太でどちらかというと恋に不向きな無骨な男性像が作られていたが、イ・ソジンは現代劇で鍛えた(?)大人の男の色香を、余すところなくドラマに持ち込んだ。これも、旧習にとらわれないサンの生き方そのものだ。(「チェオクの剣」については、こちらで詳しく紹介)

イ・ソジンの父は、彼が俳優という職業を選ぶことを反対していたという。そんな彼が父のために、2005年に映画で史劇「無影剣」の出演を決めた。しかし残念ながら映画の公開の前に他界され、この世では観ることは適わなかった。天国の父は、朝鮮王朝屈指の名君になった我が子をどのように見たのだろうか。きっと、サンの父、思悼世子(サドセジャ)のように、我が子を誇らしく見つめていたのだろう。俳優イ・ソジンは、ドラマ「イ・サン」でMBC演技大賞最優秀賞を受賞している。

文中の赤い文字が、イ・サンのやった偉業。ドラマ視聴の際に、イ監督が、これらの偉業についてどのように描いているかもチェックしてみよう。
では、次回の人物紹介をお楽しみに♪

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