ドラマ「大王世宗」を2倍楽しむ!韓国紙幣1万ウォンになった世宗を知る!公式HPで第1話無料公開中

2011年07月10日23時53分ドラマ

サンテレビで月曜日の夜8時から放送中の韓国歴史ドラマ「大王世宗」は、朝鮮王朝随一の名君!2007年1月韓国で発行された新1万ウォンのモデルになっている人物だ。日本人にはなかなかなじみのない人物だが、韓国では知らない人がいないほどの人物。今回の「大王世宗」を2倍楽しむは、ドラマをもっと深く知るために、主人公の世宗王を紹介しよう。



世宗は1397年5月6日に生を受け亡くなる1450年5月18日まで、1418年~1450年の間在位。数々の科学的業績を残し、中でもハングル(訓民正音)の制定を行ったことで国内外に賢君として知られた。朝鮮王朝時代の歴代君主中もっとも優れた君主とされている。儒教の理1万ウォン画像:Wikipediaより 韓国1万ウォン紙幣想とする王道政治を展開し、世界初の雨量計や天体観測器、日時計、水時計などを蒋英実(チャン・ヨンシル)らに製作させた。世宗の科学の功績は有名だが、実は音楽にも造詣が深い。バラバラだった音楽体系を朴堧(パク・ヨン)に整理させたのも世宗だ。
しかし一方で女真族への侵略戦争や強制同化策をとるなど、強硬策も行った。2007年に新しくなった1万ウォン紙幣は「科学技術」がテーマ―で、旧紙幣に引き続き世宗がそのデザインも飾っている。王の数々の業績を湛え、一般的に“世宗大王(セジョンテワン)”と呼ばれている。現在、ソウル光化門近くに銅像がある。

世宗像画像:Wikipediaより
光化門近くにある世宗大王像
世宗が生きた時代は、朝鮮王朝の初期。前王朝の高麗王朝は北からは蒙古、南方からは倭寇に苦しめられ滅亡し、一介の将軍だった李成桂(イ・ソンゲ)が1388年実質的にはクーデターという形で実権を握った。1388年のことである。李将軍は、疲弊しきった王朝の国家財政を立て直すべく奴婢の開放や田制改革を通して民心をつかんだ。そして1392年高麗王朝最後の恭譲王(コンヤンワン)から王位を受けるという形で王位についた。そしてこれまで構想していた理想の国づくりをするため国号を“朝鮮”とし、自らが太祖となって500年続く朝鮮王朝の骨格を作った。
しかし、実際には王朝は後継問題で混乱していた。太祖の後を継いだのは定宗だが、たった2年で王位を降りた。そのあとを継いだが太宗。政敵を武力で持って抑え王権の強化を図る第3代王だった。功臣であれ親族であれ、歯向かう者は容赦なく切り捨てた。そして世宗はこの太宗の三男として生まれた。

ここで、韓ドラここが知りたいの朝鮮王朝系図を開こう。半島は嫡子が第1後継者(世子)になる習わしがある。系図には家族関係も書いておいたので、ここで長男以外が後継者となっている場合は、クーデターや世子が病死(これも毒殺なども)と考えてよい。そのようにみると朝鮮王朝がいかに後継問題で混乱していたかが見て取れる。
世宗の長兄でもある世子・譲寧大君(ヤンニョン)は、太宗と同じく武術に優れた人物だったが、自由奔放な性格のために宮中の生活に適応できず、太宗の怒りを買って廃位されてしまった。一説には世子の座を拒否するためにわざと奇異な行動をとったとも伝わっている。一方、三男の世宗は民のための正しい政治を考える王子だった。彼は“賢者”として、彼こそを“王材”と見る者がいた。反面、そうした世宗を世継争いの火種となる危険因子と見る者もいた。
ドラマ「大王世宗」は、現王と同じ政治思想を持つ世子ではなく、何故三男の世宗が4代王となったのか、兄弟との葛藤、国づくりに命をかけた男たちを生きざまを描いている。

ここで今度はドラマの年表(朝鮮王朝偏)を見てみよう。この表は、ドラマの時代背景をチェックするためのドラマから見た年表。色分けしているのは、ドラマのジャンルで、紫色は王朝の初期にかたまっている。これは骨太でアクションも多い“英雄モノ”と呼ばれるジャンル。もっとも、三国時代の領土の奪い合いではなく、世継問題で戦っていた。これをみてもいかに王朝が混乱していたかがわかるだろう。朝鮮王朝の初期については「龍の涙」を見ればいいだろう。ただし、全159話なので心して視聴しよう。とても159話は…という方は、ドラマで知る韓国の歴史・豆知識の[4.【李氏朝鮮王朝】]を参考にされたい。もっと簡単に知りたいという方は「イ・サン」を2倍楽しむの[(2)「イ・サン」の舞台、朝鮮王朝を知る]に目を通しておこう。

次回は、ドラマの見どころを紹介。

ドラマ「大王世宗」は、毎週月曜日夜8時から2話ずつ放送。予告動画は作品公式サイトで視聴できる。

「大王世宗」公式サイト
サンテレビ

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