「王女の男」で朝鮮王朝の歴史を学ぶ④端宗の即位から癸酉靖難、死六臣まで!予告動画

2012年09月02日15時51分ドラマ
(c) KBS

【「王女の男」を2倍楽しむ】では、「スタート前に朝鮮王朝を予習」で、ドラマで描かれる前までの朝鮮王朝を紹介したが、今夜放送の第9話では、いよいよドラマの核となるクーデター(癸酉靖難)が描かれている(番組サイトに予告動画がある)。ここでは、正史に記されているこのクーデターとはどういう背景で起こり、どう決着がついたのかを紹介する。

年表や系図朝鮮王朝系図拡大表示朝鮮王朝では、第5代王の文宗(ムンジョン)の健康状態が悪く、即位後わずか二年で逝去し、息子の端宗(タンジョン)が12歳にして第6代国王に即位(在位1452~1455年)する。幼いわが子を心配した文宗は、生前、領議政にファンボ・イン(皇甫仁)、右議政にキム・ジョンソ(金宗瑞)、左議政にナム・ジ(南智)らを大臣に任命し端宗を補佐するように遺言を残していた。この3役は、第4代王の世宗が、自身の健康悪化のために考えた「議政府署事制方式」の政治と全役人を統括するうえでの最高官庁となり、これによってファンボ・イン、キム・ジョンソらが政権を握るようになった。

官僚が全てを決済する形となった王朝では、王権の空洞化が進み、それに伴って他の王族の勢力が強くなり、度々宮廷闘争などが頻発する様になる。そうした混乱の中、文宗の弟であり端宗の叔父である首陽大君が、ハン・ミョンフェを参謀に次の王座を狙った。ハン・ミョンフェは “殺生簿”を作り、これに基づいて暗殺が行われた。「王女の男」の第9話にあるように、ジョンソは鉄槌で殴打され、息子たちも殺された。

こうして1453年10月、ついに首陽はハン・ミョンフェとともに、右議政のキム・ジョンソを殺害、さらに実弟の安平大君(アンピョンテグン)をも追放して流刑に処し、最後には王命を借りて死を強要。1455年には端宗から王位を強制的に剥奪し、自らが王位に就き第7代王の世祖となる(1455-1468年)。これが癸酉靖難(ケユジョンナン)の全貌だ。“靖難”というのは“国の危難を鎮めたり、乱を平定する”という意味で、“癸酉”の年に起きたためにこう呼ばれた。“癸酉(みずのととり)”とは、干支の一つで、西暦年を60で割って13が余る年が癸酉の年となる。詳しくはこちらで解説⇒ウィキペディア|干支

多くの臣下はこのクーデターに納得せず、即位の翌年1456年6月には、端宗の復位をめざし、ソン・サンムン(成三問)、ハ・ウィジ(河緯地)、パク・ペンニョン(朴彭年)、ユ・ソンウォン(柳誠源)、そしてイ・ゲ(李塏)、ユ・ウンブ(兪応孚)ら文臣たちが世祖(首陽)の暗殺を計画。しかし、計画が事前に漏れて、端宗は廃位、“魯山君”に格下げの上流刑に、ソン・サンムンたち6人の首謀者たちは処刑される。そして処刑された6人を“死六臣”と呼んだ。一方、同じく世祖を批判し暗殺計画には参加しなかったが、職を辞し死ぬまで官職につくことなく生涯をすごしたキム・シスプ(金時習)ら6人を“生六臣”と呼び、“死六臣”とともに、後に忠臣の鏡として尊敬されるようになる。

死六臣のひとり、イ・ゲは、スンユたちの師としてドラマにも登場している。演じたのはオム・ヒョソプ。あの「善徳女王」でピダムを破滅させるヨムジョンを演じた俳優だ。「ペク・ドンス」では主人公ペク・ドンスの父役。
果たして、ドラマ「王女の男」ではスンユを、師が計画する「世祖暗殺」に加わらせるのか?今後のドラマの展開で確認しよう。

ところでドラマの中で、ヒロインの娘のセリョンを厳しく叱る首陽の妻(後の貞熹王后 尹氏)は、実際にも相当な気丈な女性だったらしい。彼女は、元々は夫の首陽大君が企てたクーデターには反対していたが、決行が決定した後は、その朝玄関で躊躇する夫にはっぱをかけ甲冑を着せて送り出したという。彼女は、後に、孫にあたる第9代王の成宗(1469-1494年)の即位後7年間、朝鮮最初の垂簾聴政も行っている。

「王女の男」は、NHKBSプレミアムにて日曜日の夜9時から放送。予告動画と前2回のダイジェストは番組サイトで視聴できる。

NHKBSプレミアム「王女の男」番組サイト

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