「王女の男」最終回を振り返って…“李施愛(イ・シネ)の乱”とドラマのその後…30日、総集編(後編)放送-NHK

2012年12月29日16時44分ドラマ
(C)KBS

明日30日(日)は、「王女の男」総集編(後編)を放送、番組サイトには第23話と24話最終回の予告動画が公開されており、【「王女の男」を2倍楽しむ】では、全話のあらすじと見どころを紹介している。

さて、物語は、目は見えなくなったものの、スンユ(パク・シフ)とセリョン(ムン・チェウォン)は結ばれ、一応のハッピーエンドとなった。最終回では、すっかり年老いて好々爺となった首陽の姿も見られたが、実際にはどうだったのだろうか?

最終回に登場した史実と一緒に振り返ってみよう。
※朝鮮王朝についてあまりご存じのない方は、【「王女の男」を2倍楽しむ】の「(2)時代背景」①~④までにざっと目を通しておいてください。今回は「⑤」です。

朝鮮王朝では、端宗(タンジョン)が12歳にして第6代国王に即位(在位1452~1455年)すると、先代王の弟である首陽がクーデター(癸酉靖難)を起こし政権を取り、世祖として13年間在位した(1455~1968年)。
世租(首陽)世租(首陽)世祖は、始まりはクーデターだったものの、実際には数々の治績を残した名君と言われている。世帯数を把握して軍役制度を改革し国防制度を整備したり、ドラマ「トンイ」にも登場した“養蚕”を奨励して農地の開墾を進めるなど財政制度の改革をしたり。また、王権の地位向上のために、王室の安寧や王族の冥福を祈る仏教行事を国家行事として盛んに行い、国家の統治理念であった儒教を抑圧し、民間信仰や道徳を仏教とともに尊重した。国家事業として仏教経典のハングル訳を勧め、「朝鮮経国典」を補完した「経国大典」の編纂に着手したのも世祖だった。
こうして、王権の地位は高まったが、今度は官僚や地方地主たちが反発し、地方豪族の乱も起きた。その代表的なものが、「王女の男」の最終回で描いている1647年に実際に起きた「イ・シエの乱」(李施愛の乱)だ。地方豪族のイ・シエが、世祖の政事に不満を持つ民衆を束ね反乱を起こした。世祖はこの乱を平定するのに3か月を要した。ドラマではスンユも一緒に参加したことになっている。

世祖は1468年9月7日、次男の睿宗に王位を譲って上王となったが、翌日に51歳で崩御している。晩年は、甥を殺害し王位を簒奪したということで、常に負い目を持ち、苦しんだようだ。皮膚病にも悩まされるが、これは、殺害した端宗の母(世祖にとっては兄嫁にあたる人物)が夢枕に立ち、唾を吐きかけられた部分がただれたとか。これを見ても、世祖が玉座に就いたものの、その後どれだけ苦しんだのかがわかる。たとえ天下を牛耳っても、道徳的な良心の呵責には耐えられなかったのだろう。
ドラマでは非道な悪役として描かれている世祖。しかし、彼もまた王族に生まれた、時代の被害者だったかもしれない。

「王女の男」総集編の後編は、明日30日(日)夜9時から、NHKBSプレミアムにて放送。再放送は、前編を1月5日(土)、後編を12日(土)朝8時30分から放送。なお、来年の1月20日からは「太陽を抱く月」を放送。13日には、番組の放送直前スペシャルを放送するのでお見逃しなく。こちらで番組収録の様子をレポート⇒「太陽を抱く月」放送直前SP番組収録現場潜入レポ

NHKBSプレミアム「王女の男」番組サイト

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