【大河コラム】「西郷どん」が生きた時代は?実在の西郷隆盛の少年時代は?

2018年01月12日20時00分ドラマ
©NHK

7日から放送が始まった「西郷どん」!第1話では、西郷吉之介(隆盛)の少年時代が描かれたが、当時は幕府の土台が揺るぎ始め、西洋列強が姿を現すようになった幕末前夜…今回は、激動の時代と実在の少年吉之介について復習しよう!ドラマの予告動画は公式サイトで公開、NHKオンデマンドで見逃し配信中だ。

■動乱の少年時代
西郷隆盛が吉之介(吉之助)(幼名・小吉)と呼ばれた少年時代、19世紀初頭は150年にも及ぶ戦国乱世を制し、家康が天下統一を成し遂げた江戸幕府に陰りが見え始めた時代。
支出の増加により幕府の財政難は慢性化。その一方で農村にまで貨幣経済が浸透し、商人層が力を持ち始めた。ちなみに幕府は数度にわたって改革をしたが、急激な社会構造の変化の前には問題解決には至らなかった。

そうした状況をさらに悪化させたのが天保の大飢饉。1833(天保4)年に始まり 、1835年から1837年にかけて最大規模化した飢饉だ。米の価格は急騰し、全国で一揆が頻発し、1837(天保)8年、ついには大坂町奉行与力・大塩平八郎とその門人らが幕府に対する反乱を起こした。

さらに幕府を揺るがしたのは西洋列強からの外圧。1808(文化5)年のイギリス軍艦が長崎港に侵入した「フェートン号事件」や、1808(天保8)年の日本漂流民7名の移送と対日通商、布教を目指して浦賀に来航したアメリカ船・モリソン号を打ち払った「モリソン号事件」などが発生し、やがて動乱の幕末へと突き進むのだった。

※大阪の商家の娘を主人公に当時を背景にスタートしたのが「あさが来た」(2016年後期連続テレビ小説)だ。「あさが来た」は商人目線で幕末から明治への転換期を描いた作品ともいえる。

西郷■貧しいながらの楽しい西郷家
そんな中、1827(文政10)年12月7日、父・吉兵衛隆盛と母・政子の長男(幼名・小吉)として生を受けた。西郷家の家格は「御小姓与」。下から二番目の下級武士の身分。それなりの収入はあったようだが、幕府自体が財政難の中、下級武士の暮らしは貧しい。おまけに西郷家には子供が7人(男子4人に女子3人)いる大家族とあって、かなり貧しい暮らしをしていた。しかし、父親の吉兵衛は真面目な人格で、母親も内職や子供たちと畑で野菜を作ったりして家計を支え、貧しいながらも西郷家は常に笑顔があふれ、吉之介はのびのびと育った。

「西郷どん」の第1話で、小吉(吉之介)が友だちとの喧嘩で大けがを負うシーンがあったが、実在の吉之介も13歳の時に藩校「造士館」からの帰路、仲間と喧嘩になり、右肘を負傷した。剣術修行に力を入れていた吉之介は、剣を諦めて学問に注力するようになった。ドラマのように死に場所を探したかどうかは不明だが、伸びなくなった右腕を抱え、18歳の時に薩摩の剣術、太刀流の入門した記録が残っているのを見れば、当時のショックの大きさ、未練が慮れる。

■藩士育成システム「郷中教育」
薩摩には「郷中教育」という藩士育成システムがあった。特別な指導者はおかずに、地域それぞれで年齢によりグループを作り、年長者が年少者を指導していた。学習内容の取り決めはそれぞれの自主性に任されていたが、その内容は非常に厳しいものだったそうだ。西郷はこの教育システムの中で育った。ちなみにグループ分類は次の通り。
 ・長老(おせん):妻帯者
 ・二才(にせ):15~25歳くらい
 ・長稚児(おせちご):11~15歳くらい
 ・小稚児(こちご):6~10歳くらい
※「郷中教育」については、歴史学者・磯田道史先生が詳しく語っている。⇒幕末薩摩のちびっこ教育がものすごかったという話

藩独自の「郷中教育」と極貧ながらものびのびと育った西郷吉之介が、どの様に維新回天の立役者になっていくのか?今後の展開が楽しみだ。

1月14日放送の第2話からは、子役の渡邉蒼からバトンを受け取った鈴木亮平が本格的に登場する。

NHK(日)【総合】よる8時より【BSプレミアム】よる6時より「西郷どん」を放送。再放送は毎週土曜日午後1時05分よりNHK総合にて放送。

原作:林真理子。出演:鈴木亮平/黒木華/瑛太/北川景子/桜庭ななみ/渡部豪太/塚地武雅/大村崑/水野久美/錦戸亮/松坂慶子/風間杜夫/渡辺謙ほか。

番組公式Twitterアカウントは「@nhk_segodon」。番組公式Instagramアカウントは「nhk_segodon」。第2話予告動画は番組公式サイトで視聴できる。

NHK 大河ドラマ「西郷どん」番組公式サイト
NHKオンデマンド「西郷どん」

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