【韓ドラコラム】1年余の在位で早世した睿宗(朝鮮王)の死因は?ドラマや映画ではどう描かれている?

2021年12月14日20時00分ドラマ
「光化門」撮影:@navicon

朝鮮王朝第8代王の睿宗(イェジョン)はわずか1年余りの在位で、早世した悲劇の王!今回はそんな睿宗の紹介とその死因、モデルとなった韓国時代劇(ドラマ、映画)を紹介しよう!各作品の太文字タイトルから予告動画など視聴できる。



■睿宗、早世した兄に代わって即位⇒参【朝鮮王朝系図】
※生没:1450~1469、在位期間:1年2か月(1468.9~1469.11)
世祖第7代王・世祖の次男で、母は貞熹王后尹氏(チョンヒワンフユンシ)。本名は晄(ファン)。長男の懿敬世子(フィギョンセジャ)が病で早世したため、8歳で世子に冊封。1468年、世祖の死の前日に譲位という形で18歳で即位。未成年で健康的にも問題があったために、母親で女丈夫な貞熹王后による垂簾聴政(スリョンチョンジョン)と、王の権限を宰相も行使できる院相制(ウォンサンジェ)の二つの後ろ盾で、王権を行使しなければならなかった。わずか1年2か月の在位だけに、睿宗自身の史実に残る行政は少ないが、現職の官吏だけに田を配分して、世襲をなくす法律「職田収租法」などを制定し、王権安定に尽くした。1468年には「南怡の獄事(ナミエオクサ)(南怡の謀反事件)」も起きた。これは将軍・南怡の謀叛の企てとして、関与したとされる多数の文官・武官が処刑されたが、近年の解釈では、王族中心の新興勢力が、旧来の有力者(院相勢力)によって粛清された政変とされている。睿宗はあと1年で成年となり、自らが政事を行う新政を行うことができたが、19歳でこの世を去った。
正室・章順王后韓氏との間に1男(仁城大君)、継室・ 安順王后韓氏との間に1男(斉安大君)1女(顕粛公主)がいた。

■睿宗は毒殺?呪い殺された?
睿宗は死の前日まで元気だったことから韓明澮(ハン・ミョンフェ)・申叔舟(シン・スクチュ)ら勲旧勢力による毒殺説もささやかれた。一方で、世祖の子供は誰も長生きできなかったことから、当時の人たちは、父の世祖が幼い甥の第6代王・端宗(タンジョン)を殺害して王位を奪った呪いのためとも言った。

■ドラマで描かれる睿宗⇒参【ドラマの年表】
在位期間が短い王だけに、ドラマや映画で描かれることも少ないが、「王と妃」(1998年)ではイ・ヨンホが演じ、原因不明の病(左脚の壊死)で死亡する。また、「王と私」(2007)では、即位するや、朝廷内の改革を強硬に推し進めようとする睿宗をユ・ドンヒョク(当時は本名ユ・ミノで活動)が演じ、「インス大妃」(2011)ではノ・ヨンハクが仁粋大妃(インステビ)と貞熹王妃の板挟みとなっている。映画では、『王様の事件手帖』でイ・ソンギュンが演じる推理の天才は架空の王だが、“睿宗”という役名で、映画冒頭に「1468年 朝鮮」というキャプションも実在の8代王の治世と合致する。また、2021年Netflixより世界配信されている「恋慕」(パク・ウンビン×ロウン/SF9)に関連するサイトでは、イ・ピルモが演じた王が睿宗をモチーフにしたと紹介したりもしているが、これについては【「恋慕」を2倍楽しむ】で詳しく触れていく。

Youtube「王と私」予告動画
Youtube「仁粋大妃」予告動画(日本語字幕なし)
Youtube「王と私」予告動画
Youtube『王様の事件手帖』予告動画

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