偉人たちの夢全120話

歴史に名を残す科学者たち。彼らはどんなきっかけで研究の道に入り、どんな課程を経て偉大な発明や発見にたどりついたのか。彼らが生きた当時の科学界、社会状況などとともにミニコーナーとして現代の科学者をとりあげ、最新の研究や現代の科学者の夢も紹介します。                         今回紹介するのは、波動力学の研究者、エルヴィン・シュレーディンガーです。●1887年12月オーストリア、ウィーンに生まれる。●1906年ウィーン大学に入学。学位を取得した後、26歳には早くも教授になる資格をえる。●第一次世界大戦に砲兵士官として狩り出され、敗戦の貧困を経験する。●1920年彼はウィーン大学に戻り結婚。●1925年波動力学の基礎理論として知られる「固有値問題としての量子化」の論文を発表。  原子内部における電子の状態を解明する。●1927年ベルリン大学の物理学教授に就任するも、1933年ナチスを避けるようにドイツを脱出。●1933年、亡命先のイギリスのオクスフォード大学にてノーベル賞受賞の知らせを受ける。●その後アイルランドのダブリンに落ち着き、69歳のときに故郷のオーストリア、ウィーン大学の物理学教授に就任。●1961年、死去。
  • 及川わたる、井元信之 総合研究大学院大学、先導科学研究科 光科学専攻
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歴史に名を残す科学者たち。彼らはどんなきっかけで研究の道に入り、どんな課程を経て偉大な発明や発見にたどりついたのか。彼らが生きた当時の科学界、社会状況などとともにミニコーナーとして現代の科学者をとりあげ、最新の研究や現代の科学者の夢も紹介します。今回紹介するのは、X線結晶解析で親子同時にノーベル賞を受賞した、ウィリアム・ヘンリー・ブラッグとローレンス・ブラッグの親子です。●1862年、父、ウィリアム・ヘンリー・ブラッグ、イギリスのカンパーランドに生まれる。●1886年、ヘンリー・ブラッグ、オーストラリア、アデレード大学へ赴任する。●1889年、ヘンリー・ブラッグ、グエンと結婚。その翌年、息子ローレンスが生まれる。●1909年、ブラッグ一家は本国イギリス、リーズへ戻る。●1912年、ローレンス・ブラッグ、キャベンディッシュ研究所へ入所。●この頃からブラッグ親子は、ラウエの行ったX線回折現象をもとに、さまざまな物質の結晶解析を始める。 息子ローレンスが理論を固め、父ヘンリーが実証する。そして結晶を形づくっている原子の立体的な配列を発見していく。●1915年、ブラッグ親子、ノーベル賞を受賞。ローレンスは史上最年少のノーベル賞受賞者である。●1942年、ヘンリー・ブラッグ没。●1971年、ローレンス・ブラッグ没。
  • 及川わたる、松岡勝 宇宙開発事業団 宇宙環境利用研究システム
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歴史に名を残す科学者たち。彼らはどんなきっかけで研究の道に入り、どんな課程を経て偉大な発明や発見にたどりついたのか。彼らが生きた当時の科学界、社会状況などとともにミニコーナーとして現代の科学者をとりあげ、最新の研究や現代の科学者の夢も紹介します。今回紹介するのは、ウランの核分裂を発見した化学者、オットー・ハーンです。●1879年、ドイツ、フランクフルトに生まれる。●1904年、イギリスに渡り、ウィリアム・ラムゼイ教授に弟子入りする。これがラジウムと放射能に取り組むきっかけになる。●1906年、ドイツに戻り、ベルリン大学で研究に携わる。ここで30年以上研究パートナーとなるリーゼ・マイトナーと出会う。●1912年、リーゼとともにヴィルヘルム研究所へ入所。●1913年、エディス・ユングハウスと結婚。●1914年、第一次世界大戦勃発。ハーンも戦場に駆り出され、毒ガス部隊を指揮する。●1938年7月、ナチスの台頭により、リーゼ・マイトナーはドイツを去る。12月、ウランの核分裂を発見する。●1944年、ノーベル賞を受賞。●1945年、マックス・プランク協会の初代総裁に就任。●1968年、没。
  • 及川わたる、中塚亨 日本原子力研究所 東海研究所、エネルギーシステム研究部 将来型炉研究グループ
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歴史に名を残す科学者たち。彼らはどんなきっかけで研究の道に入り、どんな課程を経て偉大な発明や発見にたどりついたのか。彼らが生きた当時の科学界、社会状況などとともにミニコーナーとして現代の科学者をとりあげ、最新の研究や現代の科学者の夢も紹介します。今回紹介するのは、電子の発見者、J.J.(ジョゼフ・ジョン)トムソンです。●1856年、イギリス、マンチェスターに生まれる。●1876年、ケンブリッジのトリニティー・カレッジに入学。卒業後、キャベンディッシュ研究所に入る。●1884年、キャベンディッシュ研究所所長に就任。●1890年、ローズ・エリザベス・パジェットと結婚。●1897年、新しい放電管を使用した陰極線の実験により、電子を発見する。●1903年、原子モデルを発表する。これが後の原子モデルが成立していく大きなヒントとなる。●1906年、ノーベル賞を受賞。●1940年、没。
  • 及川わたる、西尾成子 日本大学 理工学部 物理学科
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歴史に名を残す科学者たち。彼らはどんなきっかけで研究の道に入り、どんな課程を経て偉大な発明や発見にたどりついたのか。彼らが生きた当時の科学界、社会状況などとともにミニコーナーとして現代の科学者をとりあげ、最新の研究や現代の科学者の夢も紹介します。今回紹介するのは、量子力学の生みの親となった、マックス・プランクです。●1858年、ドイツ、キールに生まれる。●1875年、ミュンヘン大学に入学。物理学を学ぶ。●1885年、キール大学の物理学教授となる。●1892年、ベルリン大学教授となる。●1890年代後半から熱放射の研究に取り組む。●1900年、熱放射公式を発表。●1913年、ベルリン大学学長に就任。●1918年、ノーベル賞を受賞。●1947年、没。
  • 及川わたる、豊田太郎 電気通信大学 電気・通信学部 量子・物質工学科
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歴史に名を残す科学者たち。彼らはどんなきっかけで研究の道に入り、どんな課程を経て偉大な発明や発見にたどりついたのか。彼らが生きた当時の科学界、社会状況などとともにミニコーナーとして現代の科学者をとりあげ、最新の研究や現代の科学者の夢も紹介します。今回紹介するのは、量子力学で大きな功績を残した、ヴェルナー・ハイゼンベルクです。●1901年、ドイツのヴュルツヴェルクで生まれる。●1920年、ミュンヘン大学に入学。アーノルド・ゾンマーフェルト教授に師事する。●1925年、行列力学理論を発表。●1926年、コペンハーゲンのボーアの元で量子力学を研究する。●1927年、不確定性原理を発表●1932年、量子力学の創始者としてノーベル物理学賞を受賞。●1937年、エリザベート・シューマッハと結婚。●1945年、ナチスドイツの敗戦後、連合国に拘束される。以降、荒廃したドイツ科学界の再建に奔走。●1976年2月1日、他界。
  • 及川わたる、宮下精二 東京大学大学院
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歴史に名を残す科学者たち。彼らはどんなきっかけで研究の道に入り、どんな課程を経て偉大な発明や発見にたどりついたのか。彼らが生きた当時の科学界、社会状況などとともにミニコーナーとして現代の科学者をとりあげ、最新の研究や現代の科学者の夢も紹介します。今回紹介するのは、プルトニウムの発見者、グレン・シーボーグです。●1912年、アメリカミシガン州に生まれる。●1934年、カリフォルニア大学バークレー校に入学。●1930年代後半、ヨウ素131を発見。母親の治療に役立つ。●1940年、プルトニウム238を発見。●1941年、プルトニウム239を取り出すことに成功。-1945年8月、日本に原子爆弾が落とされる。-戦後、次々と新しい超ウラン元素を発見する。●1951年、ノーベル化学賞を受賞。その後、科学行政官などの要職を歴任し11人の大統領に仕えた。●1999年、他界。
  • 及川わたる、吉田善行 日本原子力研究所 物質科学研究部、抽出分離科学研究グループ
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歴史に名を残す科学者たち。彼らはどんなきっかけで研究の道に入り、どんな課程を経て偉大な発明や発見にたどりついたのか。彼らが生きた当時の科学界、社会状況などとともにミニコーナーとして現代の科学者をとりあげ、最新の研究や現代の科学者の夢も紹介します。今回紹介するのは、日本の素粒子研究で重要な功績を残した、坂田昌一です。●1911年、1月18日、総理大臣秘書官の官舎内で生まれる。●1930年、京都帝国大学物理学科に入学。●1934年、湯川秀樹の求めに応じ、助手として大阪帝国大学へ赴任する。この年、湯川秀樹は中間子論を発表する。●1939年、京都帝国大学の講師となる。同年の暮れ、柿内信子と結婚。●1942年、二中間子論を発表。●1964年、北京で開かれた科学シンポジウムに招待される。このとき毛沢東と直接対面。●1970年、死去。
  • 及川わたる、早川雅司 理化学研究所 理論物理学研究室
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歴史に名を残す科学者たち。彼らはどんなきっかけで研究の道に入り、どんな課程を経て偉大な発明や発見にたどりついたのか。彼らが生きた当時の科学界、社会状況などとともにミニコーナーとして現代の科学者をとりあげ、最新の研究や現代の科学者の夢も紹介します。今回紹介するのは、粒子加速器サイクロトロンの発明者、アーネスト・ローレンスです。●1901年、アメリカ、サウスダコタで生まれる。●1928年、カリフォルニア大学バークレー校へ赴任。●1930年、粒子加速器を完成させる。●1932年2月、世界で最初のサイクロトロンを誕生させる。同年、結婚。●1938年、サイクロトロンから出る中性子ビームで、母親のガンを治療する。●1939年、60インチのサイクロトロンを完成させる。 このサイクロトロンでネプツニウムを初めとし、超ウラン元素を次々と発見する。 同年、ノーベル賞を受賞する。●1950年、大型加速器MTAの作成に失敗しする。●1958年、死去。
  • 及川わたる、後藤 彰 理化学研究所 加速器技術開発室
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歴史に名を残す科学者たち。彼らはどんなきっかけで研究の道に入り、どんな課程を経て偉大な発明や発見にたどりついたのか。彼らが生きた当時の科学界、社会状況などとともにミニコーナーとして現代の科学者をとりあげ、最新の研究や現代の科学者の夢も紹介します。今回紹介するのは、ディラック方程式で知られる、ポール・ディラックです。●1902年、イギリス、ブリストルで生まれる。 父親の厳しい教育方針は、ディラックの性格形成に大きな影響を与える。●地元のブリストル大学を卒業後、2年間大学に残り数学の勉強を続ける。●1923年、ケンブリッジ大学トリニティーカレッジに移る。●1926年、ボーア研究所に滞在、そこでアメリカのオッペンハイマーと親しくなる。●1927年、ソルヴェイ国際会議に最年少で参加する。●1928年、ディラック方程式を発表する。これは原子内部の電子の動きを説明したものである。この方程式が陽電子の存在を予言する。●1932年、アメリカ物理学者アンダーソンがプラスの電荷をもつ粒子を発見する。●1933年、ノーベル賞を受賞する。●1984年、死去。
  • 及川わたる、山本 明 高エネルギー加速器研究機構、BESS
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