幕末から明治の激動期の実話を描く「遺恨あり」!藤原竜也、北大路欣也、松下奈緒がPR動画で見どころ紹介
仇討ちは美徳か殺人か!今夜(26日)夜9時から、日本で公的に記録されている明治13年に起きた“最後の仇討ち”を基に描いた、感動の骨太ドラマが朝日テレビで放送される!番組公式サイトには、藤原竜也、北大路欣也、松下奈緒、吉岡秀隆らがコメントしてるPR動画が公開されている。
武士の美徳とされていた「仇討ち」が、明治維新後「ただの殺人」になった。「仇討ち」は、テレビでも何度も放送されている「赤穂浪士の討ち入り」(『忠臣蔵』)に見るように、主君・親兄弟などを殺した者を討ち取って恨みを晴らす、武士階級で慣習として公認されていた。ところが、1873(明治6)年に「復讐禁止令」(仇討ち禁止令。太政官布告第37号)が発布され、それはただの人殺しになった。
「遺恨あり!」は、「仇討ち禁止令」が出されてから7年目におきた「臼井六郎事件」を基に描いたドラマ。藤原竜也が演じるのは事件の犯人・臼井六郎役。六郎が犯した罪は、明治維新がなければ美徳としてほめられた行為だ。彼は、6歳のときに、勤王・倒幕の思想に反対し、江戸幕府の存続を支持した佐幕派の父臼井亘理を、母・妹とともに、天皇に忠義を尽くす勤皇派の一瀬直久に惨殺された。六郎は、「仇討ち禁止令」という新たな社会の掟のなかでひとり苦しみ悩み、東京上等裁判所判事に出世していた一瀬を東京・京橋三十間堀の旧秋月藩主黒田邸(現銀座6丁目)で殺害する。六郎22歳のときである。自首した六郎は終身刑に処せられたが、大日本帝国憲法公布(1明治23年)恩赦で仮出獄し、1917年(大正6年)に60歳で死亡した。
本作は、「仇討ち禁止令」を知りながらも、親の敵を討つという、単なる「仇討ち劇」を描いたものではない。幕末、江戸、大正と日本の大変革期を行きぬいた“臼井六郎”という青年の姿を借りて、それまで武士の美徳された「仇討ち」が、一夜にして「殺人行為」という憎むべき犯罪に変えた、明治維新の価値観や倫理観を見つめるドラマ。
当時世間を騒がせた「最後の仇討ち」の実話に基づいた骨太のドラマの中で、日本人が忘れかけているもの、無くしかけているものがいったい何なのかを問いかける問題作である。
本作の主人公を演じるに当たり、藤原は「演じて手として魅力的な人物で、自分がやりたかった」と語っている。生きる目的を仇討ちというたった一つに絞った、非常に深いテーマで難しい役どころを、大先輩の北大路欣也も、「やりがいのある役で自分も演じたい」と語っている。劇中は藤原と北大路との立ち回りのシーンもあり、藤原にとっては演技の面でも大きな収穫があったようだ。
そんな六郎に身分違いの恋をし、自分を犠牲にして六郎を支えた なか役を松下奈緒が演じている。NHKドラマの「ゲゲゲの女房」でも主人公を支える役だったが、こちらは秘めた想いも加わる難しい役どころ。松下は、初めての時代劇に戸惑いながらも、着物や髪型で当時にタイムスリップした感覚を楽しんだようだ。
そんな“なか”と言う女性の秘めた愛と内なる力に大いに魅力を感じたのは、名優・北大路欣也だ。彼の演じる山岡鉄舟は、大きな時代の変革期に日本の行く道を照らし、江戸城の無血開城などの偉業を支えた偉人。懐が広く、器量の大きい実際の北大路にぴったりの役を演じた。
六郎を裁く判事を演じた演技派俳優の吉岡秀隆は、本番での藤原の目をみて「仇討ちをした人の目はこうなのか!」と、藤原の役に入り込む姿に感動している。時代が違えば、六郎とも笑顔で時代を語ったはずが、六郎を裁く側に立った人物、中江正嗣を演じて、「人間は時代の変化にそう簡単にはついていけないこと」感じたという。
六郎に敵討ちされる一瀬直久を演じた小澤征悦は、生きた時代が数十年違うだけで、人生がガラリと違った当時を考え、「もしかしたら、自分がその立場に立っていたかも知れないと考えさせられた作品だった」といい、「近代化にはよい面ももちろんありますが、大切な何かを忘れてきてしまったのではないかと思わせてくれる作品でもあった」と語っている。
俳優たちのこうしたコメントは、PR動画と「コメント」のコーナーで確認できる。
1880年(明治13)に起きた「臼井六郎事件」については、(著『明治黎明期の犯罪と刑罰』)で詳しく知ることが出来る。
藤原竜也が渾身の力で演じたドラマ「遺恨あり!」は、本日26日夜9時からテレに朝日で放送、PR動画は公式サイトから視聴できる。
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