BIGBANGテソンの事故当時の状況を警察発表とイラスト動画で再現!死亡原因の結果は半月後!
BIGBANGのメンバー、テソン(D-LITE)が起こした交通事故で、去る1日死亡したオートバイ運転士の司法解剖が実施された!果して死亡原因がテソンの起こした事故によるものなのか、当時の事故現場を、韓国y-star「スターニュース」が動画ニュースで再現している。
テソンは、31日深夜に起こした交通事故の被害者は2人。一人はタクシー運転手で軽傷を負い、もう一人は死亡。しかし、この被害者は、事故が起きる前にヘルメットが脱げた状態で道路上に横たわっており、もともと死亡していたのか、テソンの事故により死亡したのか特定できていないでいる。そこで司法解剖が行われた。この結果によって、テソンの量刑が大きく左右されるとあって、多くの注目が集まっている。(テソンが起こした直後のニュースは、1日のナビコンのニュースで紹介している)
動画ニュースでは、警察調査内容及びテソンとタクシー運転手の陳述などを元にして事件をイラストで再現している。
まず、揚花(ヤンファ)大橋1車線を過ぎたタクシー運転手は徐行運転していたところ、同じ車線に人が倒れているのを見つけ、急いで隣の2号車線に変更し、また、1号車線に戻って車を止めた後、(警察に)知らせようとしてバイク運転手に近付いた。その後走行してきた車は、1号車線から2号車線に移り、倒れた男性をやり過ごしたが、そのあと1号車線を走ってきたテソンの車は事故現場に気づかず、そのままバイイク運転手をはねた後、タクシーにまで追突した。
[インタビュー: 事故調査1チーム長]
(タクシー運転手が)申告をしようと思って、車線変更した後、再び1号車線に戻って停止していました。テソンはそれに全く気付かずそのままの速度で走行し、途中人をはねてタクシーの前バンパーに追突した。
事故当時、 車から降りる前までテソンはタクシーに追突した事実だけ認知し、バイク運転手をはねたことは全く気付かなかったと証言しています。タクシー運転手に大丈夫なのかと、聞くために車から降りた後、バイク運転手が死亡していることに気付いたと言っています。
さらに、警察ではテソンの証言を次のように説明している。
[インタビュー: 事故調査1チーム長]
Q. テソンの陳述内容は?
まっすぐ走っていたら、何か大きいものにぶつかったような音がして、タクシーにぶつかる前にゴトンとして前を見たらタクシーがあり、ブレーキを踏もうとしたが、ブレーキが利かなかったと言っているが、アクセルを踏んだのかブレーキを踏んだのか現場には全然 ... 本人はブレーキを踏んだと言ッているがスキッドマーク(スリップ痕)は全くありません。
テソンは当初警察の調査で規定速度である時速60kmではなく、80kmで走ったと述べたが、ほどなくこの陳述をくり返し変更して規定速度を守ったと主張している。タクシー運転手もそんなに早くなかったようだと、テソンの車の速度が時速60km程度だったようだと明らかにして、彼の主張を認めている。
しかしテソンは、今後の処罰を避けることができないようだ。もしバイクの運転手が事故の前にすでに死亡していたら、テソンはタクシーとの衝突に対してだけ責任を問われることになるが、そうでなくテソンの車に轢かれて死亡したとなれば、スピードの出しすぎの如何によっては、刑事的処罰の可能性も出てくる。
警察は直接的な死亡原因を明らかにするために、去る1日、死亡したバイク運転手に対する司法解剖を実施した。結果が出るまでは約半月位はかかる予定だとのこと。
また、事故当時テソンに同乗者がいたという話が注目をひいている。これは、ネチズンたちが助手席のエアバッグが破裂したことで同乗者がいたのではないかと言う憶測から始まった。
事件を担当した永登浦警察側では「警察の調査結果、この日テソンはひとりだったし、彼の事故車内部でも同乗者のいた痕跡はなかった」と伝えている。
A自動車会社側でもやはりネチズンたちの疑問に対して「テソンの車は基本モデルだから、助手席に重さセンサーが装着されなくて助手席に乗客がいなくてもエアバッグが破裂するように設計されている」と発表している。
一方、去る2日ビッグバンの所属事務所の代表であるヤン・ヒョンソクは同社の公式ブログを通して次のように発表した。ヤン・ヒョンソクは現在テソンが「家族たちとの面談さえ拒否したまま、一人でふさぎこみとても苦しんでいる状況」と言い「昨日の夜明けにテソン君が泊っている宿所に訪ねて『もし私が君だったとしても、あの状況は避けられなかっただろう』という言葉を伝えた」と明かした。
警察は「テソンとタクシー運転手の陳述が一致する」ため、現在追加調査は予定されていないと発表した。
正確な事故結果と処罰の可否についてはもう少し見守らなければならないようだ。
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