続く孔明と周瑜の知略戦、そして劉備は南郡の城主に…ドラマ「三国志Three Kingdoms」第46・47話と前回までのあらすじ-BSフジ
BSフジで放送中の中国時代劇「三国志Three Kingdoms」は4日に第46話「荊州を争う」、5日に第47話「知略で南郡を取る」を放送、赤壁大戦から続く孔明と周瑜の頭脳戦は荊州攻略にまでもつれ込む。劉備と同盟を組んだものの、周瑜は依然として孔明に強いライバル心を抱き続ける。曹操を退けるために要となる荊州の地をめぐり、孫権側と劉備側の対立がいよいよ目立ってくる。周瑜は敵対心も露に南郡攻略を孔明に向けて高らかに宣言する。しかし南郡を守る曹仁も歴戦の猛者であり、必死での応戦は周瑜も思うようにいかない。曹仁を撃破したものの周瑜まで傷を負い、孔明は”漁夫の利”を体現するかのようにその隙に南郡攻略を仕掛ける。
■第41話「苦肉の策」第42話「赤壁の戦い」
周瑜による偽の書簡が原因で曹操に処刑された蔡瑁の弟たち・蔡和と蔡中が周瑜郡に投降を申し出てきた。周瑜はそれを迎え入れる一方で対曹操戦に向けて軍議を行う。その過程で老臣・黄蓋と意見が食い違い、立腹した周瑜は黄蓋の処刑を命じる。これまでの功績も厚い黄蓋に対して周囲は必死で肝要な処置を懇願、周瑜は処刑こそは退けたが老体に100叩きの刑を言い渡し、実行される。叩かれ血まみれになり周瑜へ恨みの言葉を叫び続ける黄蓋を目の当たりにし、蔡和と蔡中はこの件を曹操に報告する。それ以前に曹操軍には黄蓋から戦いを直前に寝返りたいとする内容の書が届いており、曹操はそれを罠だと信用していなかった。しかしここへ来て蔡和らの報告を知り、黄蓋の投降は真実だと思い込む。これこそが苦肉の策、黄蓋が命を懸けて曹操を信じさせるための大芝居であったが、諸葛亮はいともたやすくそれを見抜いていた。曹操軍は黄蓋の投降で勝利を確信し、戦いに向けて勢いがつく。
一方の周瑜は心労から病の床に伏せてしまう。その理由は、火攻めをするために風向きが都合が悪い事を案じすぎた結果だった。それを察知している諸葛亮は、この時期は西北の風が吹くものを、戦の間だけ東の風を吹かせようと周瑜に断言する。そして祭壇を築かせ道士の姿で風を吹かせるための祈祷を行い始める。しかしこれも諸葛亮による粉飾で、諸葛亮は自らの情報収集でこの季節で一時的に風向きが変わる期間である事を知っていたのだった。しかし周瑜は諸葛亮を殺害するために呂蒙を差し向けた。しかしそれを知った周瑜の妻・小喬は諸葛亮を逃がす。夫の今後を思っての小喬の行為は周瑜を激怒させ、随行していた戦地から追い払い周瑜は小喬へ別離の言葉を告げる。
ついに赤壁の戦いが幕を開ける。劉備の元に戻った諸葛亮は曹操の敗走を予期して趙雲や張飛などに役割を与えていく。しかし関羽だけには曹操に恩義がある立場を考慮して作戦には参加させない立場を取った。これに憤慨した関羽は曹操を逃がす事ないよう誓約書を書き、ようやく諸葛亮から出陣の許可を得る。
投降すると伝えてきた黄蓋の船団を待っていた曹操軍だったが、その行動が偽りのものだと気づいたときには既に遅く、火炎と化した黄蓋の船によって火攻めに遭う。風は東南の向きとなり、火勢は曹操軍に襲い掛かった。出撃前に曹操の船団は全てを鉄の鎖で繋ぎとめていた事が仇となり、火は次から次に曹操軍の船に燃え広がった。かくて曹操軍は大敗を喫し、退却を余儀なくされる。そしてその退却路も見破られていたことで趙雲、張飛たちの伏兵に襲われて曹操軍の残りはわずか27騎となってしまった。敗走を続ける曹操の前に立ちはだかったのは関羽だった。捕らえられるよりはわが首を斬るようにと言う曹操や、かつて共に過ごした程昱や徐晃らの姿を見て、義の心を捨て去ることが出来なかった関羽は意を決して曹操に道を譲る。自分を見逃した後の関羽を思って一度は逃げる事を拒否した曹操も、家臣らに引き立てられるようにして敗走を続けるのだった。曹操を見送った関羽は責任を取って自害しようとするが、養子の関平や部下の周倉らに止められる。
■第4部「荊州争奪」第43話「司馬懿、出仕す」第44話「曹操、華北に帰る」第45話「曹冲の死」
曹操軍が退却したことで空白の生じた荊州北部を巡って、次は孫権と劉備の覇権争いが始まる。曹操を見事仕留めていれば劉備に分が出てきたのだが、そこへ戻ってきたのは曹操を取り逃がした関羽だった。関羽は自らの失態を詫び自害しようとするものの、桃園の誓いを忘れない劉備は自らが関羽煮先立ち自害すると息巻く。見かねた魯粛は諸葛亮に許しを請い、一時は関羽を処刑せよと命じた諸葛亮もその言を下げた。これは周瑜が自らの手を汚さずして曹操を劉備に討たせようとしていた事を読み取り、関羽が曹操を逃がす事を承知した上での諸葛亮の策略だった。この諸葛亮の一芝居に、孫権と劉備の同盟が今後しばらくは不可欠と考えた魯粛も乗る形で関羽を助けるのだった。劉備との同盟に同意しない周瑜と魯粛の意見は真っ向から対立したが、結局は劉備の存在を認めざるを得なかった。
敗戦を喫した曹操軍は、将兵たちを前に負ける事は戦いの常であると語り始める。大勢の兵を前に曹操は静かに、しかし落ち着いてはっきりとした口調で敗戦の分析をはじめ、次につなげるための策を述べていく。それを聞いていた兵たちも徐々に今後の展望がはっきりとしたことで希望が見えてきた。聴衆たちが曹操の話に熱心に耳を傾ける中、ただ1人居眠りをする男がいた。無礼であるとその場を追い出した曹操だったが、その存在が気になり単身で男が捕らえられた牢へ出向く。居眠りの理由は曹操の気を引くためだという男は、赤壁での敗戦は自然の道理だと断言し、10年後に南征すれば勝利を得られるだろうと断言した。男が名乗ったのは偽名で、実はかつて曹操への出仕を拒んだ司馬懿であった。今こそが曹操に仕える時であるとして、司馬懿は曹操への出仕を願い出る。
曹操は司馬懿に対し、一番目をかけている幼い息子・曹冲の師となって欲しいと頼む。自らの後継者を曹冲だと見込む曹操は、司馬懿の英知を曹冲に授けたいと考えた。曹操が許昌へ戻ろうとする頃、西涼の馬騰と韓遂が許昌へ8万もの軍勢を向かわせている事を知る。都を守る荀彧は、曹操が到着するより早く見せかけのために南門で大勢の兵士を集めて出迎えの準備をさせる。この出迎えは西涼を欺くためものもで本当の参列は不要であると荀彧は長男の曹丕に告げる。しかし嫡男が並んでこそ欺けるとして曹丕は出迎えの列に加わる。そこへ八男の曹冲もわずか10歳ながら出迎えの意図を汲み取り、曹丕に並んで出迎えの列に並ぶのだった。その日曹操は戻らず、出迎えの兵士たちは夕刻には解散する。次の日もその次の日も兵士たちは南門で出迎えに待機し、そこに曹丕も加わっていたが曹操は一向に戻る気配は無かった。そこへ曹操が西門に到着したことが告げられる。西門で曹操を出迎えているのは曹冲ただ1人だった。曹操は曹冲を褒め称えると共に、他の兄たちを叱咤するのだった。他にも逃げた刺客への対処について優れた回答を示した曹冲を曹操は高く評価した。曹冲を前に恥じ入る兄弟たちの中で、司馬懿は曹丕に注目を向けるのだった。
そんな折、曹冲が危篤であるとの知らせを受ける。毒鼠に噛まれたために倒れたと聞いた曹操はその身を案じるが、荀彧はこれが曹丕によって仕組まれたものではないかと意見を述べる。その矢先に曹丕までもが毒鼠の毒に倒れたと知らせが入る。結果、曹冲は息を引き取り、曹丕は重態ながらも一命を取り留めた。曹冲の葬儀の際、酒や狩りにうつつを抜かしていた曹彰と曹植を激しく叱責する曹操は寝ずの番で棺を守るように命じた。そこへまだ病も癒えぬ状態の曹丕が駆けつけ、自らも涙ながらに曹冲の棺を守ると申し出るのだった。息子たちが曹冲の棺の番をして3日目、「罪無き者は眠り、罪あるものは後ろめたさから眠らない」と考えた曹操はこっそり息子たちの様子を伺う。3人の息子たちでただ1人起きていたのは曹丕だった。曹操はこの事を胸にしまいこみ、荀彧に曹冲は毒鼠に噛まれて死んだのだと断言し、今後はこの話題を蒸し返さないよう釘を刺した。曹冲の師となるはずだった司馬懿は曹操に申し出て3年の間は喪に服すと表明した。曹冲の墓前で供養をする司馬懿の元に曹丕が訪れ、自分の師になってくれるように願い出る。しかし司馬懿は3年喪に服した後とすぐに仕える事を断る。司馬懿は曹冲が聰明さを隠さなかったゆえに殺害されたこと、そして忍耐強く才能を隠しつつ事を進める曹丕こそが曹操の後継者に相応しいと見て取っていた。喪に服す3年とは、司馬懿にとっては状況を見極めるための猶予期間だったのだ。
<第46話・47話みどころ>
曹操を劉備が討たなかった事を苦々しく思う孫権だが、孫権もまた劉備の存在意義を知る男であった。その意見は周瑜と相反するものであったが、君主として家臣の人気が高い周瑜を尊重しつつ自らの意思を遂行する若き孫権の苦渋が描かれる。第一部の子供時代を知る視聴者には頼もしい成長と見て取れるだろう。そして血気にはやる周瑜がどう戦を左右するか、周瑜の人となりを熟知する諸葛亮がそれをどう作戦に生かすか迫真の頭脳戦が物語の中核になってくる。
「三国志Three Kingdoms」は月曜から金曜の午後6時から放送。作品オフィシャルサイトでは予告篇とダイジェスト動画を公開中。
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BSフジ「三国志Three Kingdoms群雄割拠」
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