<麗><輝くか、狂うか>…今、高麗王朝が熱い!「千秋太后」実在の主人公は悪女?予告動画
2月7日よりBS-TBSで放送される韓国時代劇「千秋太后」の主人公である千秋太后は、高麗時代に実在した悪女と伝わる女性…ドラマでは大胆な解釈で主人公を大高麗時代を目指した女傑としてドラマチックに描いている!ドラマスタートの前に史実に残るファンボ・スをご紹介、予告動画は作品公式サイトで視聴できる。
ドラマの背景となる高麗時代や、各話の詳しいあらすじと見どころ、豆知識などは【「千秋太后」を2倍楽しむ】でまとめて紹介している。
※主人公が、千秋太后と名乗るのは摂政となってからですが、以下の説明では千秋太后と統一表記します。また、ドラマは史実を基に描いているために、以下ドラマのネタバレにつながる部分もあることをご理解ください。
■従兄妹同士で結婚?
千秋太后の本名はファンボ(皇甫)・ス。964年(乾徳2)生~964年(乾徳2)没。高麗王朝を築いた王建・太祖の孫で、高麗5代王・景宗の第3王妃・献哀王后(ホネワンフ)となり、7代王・穆宗(モクチョン)の母。
高麗王朝は“王氏”だが、当時の王室の風習に従い千秋太后たちは母方の“皇甫”を名乗っていた。皇甫は有力豪族で、千秋太后の祖母は王建の第四夫人皇甫氏(神静王后)。皇甫氏は、王子の王旭(ワン・ウク)を産んだ。この旭が千秋太后の父親である。
千秋太后は景宗の第3王妃・献哀王后(ホネワンフ)となり、後の穆宗となる訟(ソン)を出産する。景宗は王建の孫で、二人は従兄妹同士での婚姻となる。ちなみに第4王妃も千秋太后の実妹のファンボ・ソルで従兄妹同士。
【高麗王朝系図】で確認してみよう。
当時は、一夫多妻制で近親婚が珍しくなかった。それどころか、一族の結束のためにむしろこれを推奨していたという歴史家もいるほど。当時は「直系尊属(先祖)」である「父母(1親等)」「祖父母(2親等)」や「直系卑属(子孫)」である「息子・娘(1親等)」「孫・孫娘(2親等)」はタブーだったけど、三親等以上「叔父・叔母」「従兄弟・従姉妹」などには「血族・親族」の概念はまだなく、父親が違えば「二親等」同士でも結婚が可能だったのでは、と推定する学者もいるらしい。(出典:もっと知りたい韓国の魅力(朴美姫)インタビューより)
実際に、こうした一夫多妻制や近親婚が禁止となったのは朝鮮王朝に入ってから。
■姦通に走った女傑!
981年(太平興国6)、千秋太后は18歳で夫の景宗を亡くし未亡人になるが、母方の親戚・金致陽(キム・チヤン)と姦通。これが公になり宮中は大混乱。千秋太后の兄で第6代王・成宗は、金致陽を貴陽へ送ることで事態を収束させた。しかし、千秋太后は息子の訟(ソン)が第7代王・穆宗となり、自らが摂政となって政治に関与。王建の遺志を継いで高句麗の復興を目指し“強い高麗帝国”を夢みた。そして、その右腕としたのが愛人金致陽だった。彼を呼び寄せ、上奏を取り扱う部署の次官である“右僕射”と財政権と人事権を併せ持った職務“三司事”に任命し、多大な権限を与えた。
1003年(咸平6)、金致陽との間に息子を儲けた千秋太后は、次の王に決まっていた甥の大良院君を無理に僧侶にし殺害を計画。しかし、1009年(大中祥符2)康兆の変で、金致陽と息子は処刑され千秋太后も流罪に処せられた。
ちなみに、大良院君は千秋太后の実妹であるファン・ソルが産んだ詢(ジュン)。政変の後、この詢が即位して第8代王・顕宗となった。
■崇儒主義が作った悪女像?
こうしたことから千秋太后は悪女としてその名を後世に残すことになった。しかし、これを後世に伝えたのが朝鮮王朝時代の儒者よる高麗史だけに、千秋太后の人物像が大きく曲解されているという新解釈もある。金致陽とのことも、当時千秋太后は未亡人なので現代から考えれば姦通という表現もおかしい。だが、極端な崇儒主義だった朝鮮王朝の儒者からは千秋太后の生き方が許されないことだったのかもしれない。
■史実と新解釈で描かれるドラマ
ドラマ「千秋太后」は、こうした新解釈をうまく史実と絡ませてドラマチックに描いている。
近年、「輝くか、狂うか」や「麗<レイ>~花萌える8人の皇子たち~」など高麗時代初期を舞台にするドラマが人気だ。そうした王朝初期に悪女として史実に残った千秋太后を、太祖・王建の意志を継いだ民族愛あふれる勇猛な女傑としてどう描くのか、ドラマ「千秋太后」で確認されたい。
◇BS-TBS「千秋太后」番組公式サイト
2017.02.07スタート 月~金17:00-17:54
◇「千秋太后」公式サイト
【作品詳細】【「千秋太后」を2倍楽しむ】
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