菊正宗、創業350周年。記念CMをジェロがカバー、スペシャルサイトも公開

2009年09月11日18時23分商品・CM
視聴サイトへ

菊正宗が2009年で創業350周年を迎えたことを記念して、西田佐知子が歌う菊正宗CMソング「初めての街で」を、昨年のレコード大賞最優秀新人賞歌手に輝いたジェロがカバー、そのCMが公開されている。
菊正宗は、万治2年(1659年)、徳川四代将軍家綱の時代に、御影村の在郷商人(廻船業、綱元)として活躍していた嘉納治郎太夫宗徳が、当時、先端の製造業であった酒造業に手を広げたことに始まる。
18世紀末、当時、まだ決して大きな銘醸地ではなかった灘は、江戸送りのいわゆる「下り酒」の人気が高まったことから、その名を轟かせるようになる。中でも造った酒のほとんどを“下り酒”にしていた本嘉納家の酒は、最高品質の酒として江戸っ子にこよなく愛された。
本嘉納家は、良質な酒米と宮水という六甲山系の自然の恵みを丹波杜氏の職人技で醸した辛口を携え、地の利を生かして港から遠くは松前(北海道)にまで取引に出かけ、伊丹、池田といった先達を凌駕し、新興の酒造蔵としての名声を確かなものにしていく。
本嘉納家は、文化・文政(1804~1829年)の数十年で石高を約3倍に増やし、幕府の御用商人とも言える立場を確立して隆盛を極める。
また、明治15年(1882年)には、本嘉納家8代目秋香翁が「どうしても良い酒を造る」との信念でドイツから顕微鏡を購入し、西洋の学問を身に付けた技術者を招聘。断熱効果を高めたレンガの酒蔵やビン詰め工場など、最新鋭の設備投資で業界に先駆けた技術改善を敢行。「近代醸造」への足がかりを築いた。
明治19年には、「菊正宗」ブランドを商標登録。海外への積極的な輸出や宮内省御用達拝命など、のちの発展の基盤がこの頃固められた。
昭和20年、阪神間を襲った爆撃により菊正宗も大部分の蔵を焼失するが、わずか3蔵から復興を遂げ、昭和24年に業界新聞が行った6大都市での世論調査では、「売りたい酒」、「品質のよい酒」で、菊正宗はいずれも3都市でトップ、総合でもトップの座を得た。
1988年には、業界で初めて主力商品の全てを本醸造化するなど、品質本位の姿勢を貫いてきた。
また、「♪やっぱり俺は~キクマサムネ~」で一躍有名になった昭和53年のテレビCFは、その年の優秀なCFに贈られる広告賞を受賞。
続く「旨いものを見ると、辛口のキクマサがほしくなる」編CFでは、食と日本酒の融合を提案するなど、日本酒の新たなポジションを切り拓き、魅力を発信し続けてきた。
ジェロが歌うCMでは、「うまい料理に合う、うまい辛口酒」をテーマに、「本物の辛口=菊正宗」をメッセージ。
昨今、なにかと派手なCMが多い中で、CMを見たあとに「ああ、キクマサが飲みたくなった」と思える正統派のシズルCMをめざしたという。
それだけでなく、ハイビジョン撮影やモーションコントロールカメラなど、最新のテクノロジーも取り入れて制作しており、「伝統を守りながらも新しいことに挑戦する…」という気持ちも込められている。
さらに、「真・辛口宣言」スペシャルサイトも公開されている。「壱 『本物の辛口』はうまい」、「弐 生酛で、辛口はうまくなる」、「参 上撰・本醸造の全量を生酛化」と分け、それぞれ映像でより詳しく見ることができる。

菊正宗CMギャラリー
「新・辛口宣言」スペシャルサイト