東ローマ帝国~繁栄と滅亡・皇帝たちの軌跡全5回
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共和制から、軍人皇帝、そして専制君主制へと移り変わる帝国の素顔を紹介。約50年の間に26人の皇帝が乱立するという大混乱の時代を経て、圧倒的な力を誇ったローマ帝国もついに分裂へと向かう。4世紀初めになると、衰退の激しいイタリアおよび帝国西半部に見切りをつけたコンスタンティヌス帝は、帝国の首都をビザンチウム(現イスタンブール)へと移した。さらにキリスト教が公認にされ千年王国、東ローマ帝国の歴史が始まったのである。<主な取材先:トルコ・イタリア・フランス・ドイツ・ギリシャ>
(C)BS-i/TBS
分裂後、西ローマ帝国はわずか81年間で滅亡してしまう。一方、6世紀の東ローマ帝国はキリスト教を軸に、繁栄の時代に向かう。帝国各地に聖堂や修道院が築かれ、それは華麗なモザイクで飾られた。千年王国へ向けて国力が充実してゆく時代。新たな世界帝国を作り上げるために、皇帝たちは、何をしたのか? 帝国の回復の道のりを追う。 <主な取材先:トルコ・イタリア・フランス・ドイツ・ギリシャ>
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10~11世紀にかけて、帝国は文化的にも軍事的にも絶頂期を迎える。陰謀と策略が渦巻く宮廷とは対照的に、俗世を離れた神との生活を望む人々は各地に修道院を建設してゆく。千年の時を越えてそこには、今も変らぬ祈りの日々を送る修道士たちの姿がある。黄金期を迎えた東ローマ帝国の栄光と、ちらつく帝国の不安な影を探る。 <主な取材先:オシオス・ルカス修道院(ギリシャ)、キエフ=ペチェールスカヤ大修道院(ウクライナ)>
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11世紀、急速に力を増したイスラーム王朝セルジューク・トルコに対抗するため、時のアレクシオス1世は、ローマ教皇に援軍を求めた。教皇は、西欧の諸侯に呼びかけ、第1回十字軍が派遣された。しかし、やがて帝国とヴェネツィアとの軋轢から、第4回十字軍の軍勢はコンスタンティノープルを占領し、東ローマ帝国の宮廷と貴族、官僚は各地に亡命政権を樹立した。それは、やがて訪れる滅亡の始まりだった。 <主な取材先:トルコ・イタリア・フランス・ドイツ・ギリシャ〉
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15世紀、皇帝が援軍を求めてイタリア、イギリスを訪れたにも関わらず、ついに帝国は滅亡の時を迎える。以後、コンスタンティノープルは、イスラーム王朝のオスマン帝国領となる。しかし、1000年の間に培われたビザンツの文化は東ヨーロッパに引き継がれていった。そして、また分裂と抗争のバルカン半島史もここに始まったのだ。 <主な取材先:トルコ・ギリシア・コソボ・セルビア・イギリス>
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