「イ・サン」苦悩の始まりは朝鮮史ミステリーから…歴史から消えた“米櫃事件(米びつ事件)”って?予告動画
イ・ビョンフン監督の「イ・サン」が地上波、BS、ケーブルテレビ、ネット配信などで繰り返し放送されており、大ヒット作だけに既視聴の方も多いだろうが、ドラマの時代背景や見どころを知った上で視聴されれば、ドラマが2倍楽しめるはず…まずは、ドラマ序盤の背景と見どころポイントをご紹介!予告動画はYouTubeで視聴できる。また、テレビ放送や配信情報は【「イ・サン」を2倍楽しむ】で案内している。
【ドラマの始まりは歴史のミステリー】
ドラマ「イ・サン」は、朝鮮王朝時代の聖君のひとりといわれる第21代王・英祖(朝鮮王朝系図)のショッ(c)2007-8 MBCキングなオープニングから始まる。 この後、英祖はわが子(荘献世子)を米櫃(米びつ)に入れて餓死させる。ドラマでは、父を救えなかった主人公サンが、無念の思いを抱きながらも王位に就き、父の望んだ聖君になろうとする波乱の人生を、ソンヨンとテスという生涯の友との出会いを絡めて描いていく。
サンは、後に正祖となる第22代王だが、ソンヨンやテスはモデルとなる人物はいるものの彼らとのエピソードはフィクション。(【2倍楽しむ】(4)登場人物とキャストの紹介参照 ) 劇中多くの史実や正祖の偉業がフィクションに絡めて描かれており、これこそがドラマ「イ・サン」の見どころだ。そして冒頭の“米櫃事件”も史実で、英祖38(1762)年5月(閏)に起きた“荘献世子事件(チャンホンセジャ)”を基にしている。
英祖と正祖の二人の名君の間で非業の死を遂げた荘献世子は、現代では歴史のミステリーとして、「大王の道」をはじめ、多くの韓国ドラマや映画の題材とされている。(同じ時代を描いたドラマはドラマの年表(朝鮮王朝編)で紹介している)
【歴史書から消えた事件】
朝鮮王朝の歴史書として「承政院日記」と「朝鮮王朝実録」がある。「承政院日記」は、王の行った政務はもちろん、王の病状や王室人々の健康状態、王がどこでどんな勉強をし、誰と会って何を話し、朝鮮王朝実録そのときの王の表情や感情といったものまでこと細かく記載されている書だ。「朝鮮王朝実録」は重要なものを抜粋したもの。キネマ旬報社より朝鮮王朝実録 【改訂版】が刊行されている。
これは王も手出しができず、後世に悪名を残したくなく時の王の行動の制止力にもなった。(詳しくは【朝鮮王朝豆知識】で解説)
“荘献世子事件”については悲劇の王子の反対勢力の陰謀があったとされているが、その全貌は後世に正しく伝わっていない。荘献世子の息子であるサンが王位に就いたときに、「承政院日記」に記された悪意に満ちた父の記録を“洗草”という儀式で全て消し去ったためだ。ドラマではこの儀式についても描かれているのでお楽しみに。
【米櫃事件・荘献世子事件って?】
(c)2007-8 MBC「朝鮮王朝実録」の記録に基づいて事件を紹介しよう。
朝鮮王朝は、建国当初から熾烈な政権争いが起きていた(党派の年表参照)。英祖は健康上の理由から、二男・荘献世子に公務を代行させようとする。だが、世子を支持する南人・少論・小北が政権を掌握しようと動きだし、これを危惧した老論が世子と英祖を仲たがいさせる謀略をめぐらした。英祖は厳しく世子を追求し、世子は精神的な圧迫で異常行動を起こすようになる。英祖は公務の代行を辞めさせようとするが、世子がまたしても報告なしに遊覧するなどし、老論がこうした世子の行動をその地位に相応しくないと問題視。英祖の世子への不信感は頂点に達し、世子に自決を命じた。だが、世子がこれに従わなかったため、世子を廃位し、米櫃に閉じ込めて餓死させた。米櫃に閉じ込められて8日目、世子は27歳の短い生涯を閉じた。事件の後、英祖は世子を死なせたことを深く後悔し、思悼世子(サドセジャ)というおくりな(諡)を贈った。
この一件で、党派の争いがさらに激化し、英祖はこの熾烈な党争をおさえるべく、要職につくものを各党派からバランスよく登用する“蕩平(タンピョン)策”を採った(詳しくは正祖のやった偉業で紹介)。だが、水面下では依然として、党派の分裂・混乱が続き、老論は世孫であるサンの暗殺を企てた。
党派の争いについては【2倍楽しむ】の(3)で、“思悼世子”については(4)でもっと詳しく紹介しているので参考にどうぞ。
【「イ・サン」を2倍楽しむ】では、時代背景や登場人物、演じた俳優の魅力、各話の詳しいあらすじと見どころ、それぞれに関連した史実の紹介や豆知識などをまとめて紹介している。あらかじめ詳しいあらすじを知りたくない方には、ネタバレなしのあらすじも用意しているのでドラマ視聴の際に参考にどうぞ。
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