ドラマになった統一新羅・渤海時代

特集 韓ドラここが知りたい ドラマで知る歴史
ドラマになった三国時代で、高句麗、新羅、百済の舞台を紹介したが、今回はその続き。まず、半島全体の歴史を年表で確認しよう。日本では飛鳥、奈良、平安の時代だ。確認後は年表を閉じる。以下文中の ◆x は、統一新羅・渤海」豆知識で詳しく解説。

唐(中国)の助けを借りて、百済、高句麗を滅ぼし、ほぼ朝鮮半島を統一した新羅であったが、北部地方には、高句麗の流れを受け継ぎ英雄が建国していた。渤海だ!当時の半島の地図を見てみよう。これが7世紀末の朝鮮半島の勢力地図。この地図は開いたままで。


【統一新羅】(676~918年) (新羅:前57-935)

統一新羅では、古代国家の政治体系も完成し、仏教・儒教(◆1)の宗教と文化が最高に輝いた時代でもあった。仏教を手厚く保護しながらも、王権を強める律令制(◆2)の確立のため、群集支配をする道具として儒教を取り入れたとも見られている。当時の新羅の身分は、「六品頭貴族(◆3)」という骨品制で構成されていた。「善徳女王」でも問題になった身分制度だ。彼らの師弟が儒教を学ぶためこぞって唐に留学した。そして、当時は、最下層の奴婢を貿易の品として扱われていた。

今から約1000年ほど前、奴婢として唐に売り渡され、後に、唐・日本・アラビアにまで至る海上路を開拓し、東北アジア交易の中心で巨万の富を築いた海洋王がいた。チャン・ボゴ(張保皐)という実在の人物だ。もっとも、「三国史記」では彼を謀反人として記しているが、彼を英雄として描いたドラマが「海神」だ。三国時代末期を描いたドラマ「善徳女王」と同じく、数少ない新羅が舞台のドラマだ。ドラマの統一新羅・渤海・高麗時代の表で確認しよう。確認できたら表を閉じておこう。チャンボゴについては、歴史の中の英雄たちの「海神」のシリーズを参考にされたい。

当時は、大陸文化を取り入れるため、日本からも遣唐使が送られたが、その航路は新羅商人の航路や舟が使われ、彼らの協力がなくしては成り立たなかった。特に、チャン・ボゴは平安時代の僧・円仁を支援したということで、日本の比叡山に彼の碑(◆4)がある。

8世紀までは、「六品頭貴族」で保護された貴族たちの生活は栄華を極め、民は貴族たちの贅沢を支える思い税に苦しめられていた。また、骨品制の矛盾で才能があっても高い位に就くことのできない貴族や豪族らの間でも、次第にうっぷんがたまり、また、王族間でもお世継ぎ問題で紛争が起き、9世紀末には、新羅王朝も地方政権のひとつとなってしまった。


【渤海】(698~926年)

新羅&唐の連合軍に滅ぼされた高句麗の遊民たちは北上して、現在の中国東北地方(満州から朝鮮半島北部ロシアの沿海地方)に渤海(ぼっかい)という国を建国した。先ほど見た統一新羅・渤海の地図で位置を確認しよう。

彼らがこの地に建国したのは、唐によって強制移住させられたからで、7世末、唐の内政混乱と、同じく強制移住させられていた遊牧民族の契丹が暴動を起こした動揺を突いて、乞乞仲象が息子のテジョヨン(大祚栄)と立ち上がり、テジョヨンが初代渤海王となった。このドラマが「大祚栄」だ。父子愛、友情、契丹族の娘との悲恋などを描いた名作で、「朱蒙」「淵蓋蘇文」と並ぶ、高句麗の英雄伝として大ヒットした。ドラマの統一新羅・渤海・高麗時代の表で確認しよう。確認できたら表を閉じておこう。

しかし、926年に契丹によって滅ぼされ、そのときに歴史書などをすべて失ってしまったようで渤海についての詳しい内容はあまり知られていない。ただ、契丹の暴動に乗じて建国のきっかけを掴んだ渤海が、契丹によって滅亡させられるとは、なんとも皮肉なめぐりあわせというほかない。

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以下、「海神」
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キャスト:チェ・スジョン、チェ・シラ、ソン・イルグク、スエ、キム・フンス、キム・アジュン
監督/演出:カン・イルス/カン・ビョンテク、脚本:チョン・ジンオク