ピダムがミシルになった日「善徳女王」第61話あらすじと見どころ:ピダムの乱は実在したの?
いよいよ最終回直前となる23日(月)放送の「善徳女王」第61話は、ヨムジョンの企みにより、トンマンが自分を殺そうとしたと、勘違いしたピダムが豹変していく。YouTubeにて「善徳女王」の予告動画が公開中だ。
(※2011年5月、BSフジでの放送に合せて紹介したものです)
「善徳女王」は、2009年に韓国のMBCで放送された歴史ドラマ。新羅(シルラ)という古代韓国の王国を舞台に、韓国史上初の女性君主である善徳女王(ソンドク)の波乱に満ちた生涯を描いている。【「善徳女王」を2倍楽しむ】では、時代背景や人物紹介、全話のネタバレ(あり/なし)あらすじと見どころ、豆知識、イベント取材レポートなどまとめている。
トンマンは、周りの誰が何と言おうともピダムを信じようとした。しかし、ピダムはトンマンの愛を最後まで信じることができなかった。いや、師ムンノとのことがトラウマとなり愛されることに慣れていなかったのだ。(これについては、② 親の愛…ソファとムンノの子育てで詳しく紹介)
ピダムは愛するトンマンのために何とか自分で片をつけようと動き出し、ヨムジョンがこれをうまく利用した。トンマンの護衛のひとりを抱き込み、トンマンの指示と匂わせるようにピダムの殺害を命じた。ピダムはみごとな剣さばきで毒矢を退けたが、これをトンマンの仕業と思い込んでしまったのだった。
第61話では、ピダムがヨムジョンたち反乱軍のもとに戻り、ソラボルへの進軍を決意する。そんなピダムの動きを知らないトンマンは、「信じて待て」という手紙をチュクパンに託す。手紙は善徳女王からではなく、ピダムを愛し信じた一人の女性トンマンからの“愛の手紙”だった。しかし、この時すでにピダムは、王宮のある月城を攻撃すると見せかけ、月城から目と鼻の先の明活山城を乗っ取る作戦を立てていた。これはミシルがソラボルを捨てた失敗を繰り返さないための策。この瞬間ピダムはミシルの意志を継いだ…。そして、明活山城でファベク会議を開いたピダムは、女王の廃位を決定し、決議文を各所にばらまく。トンマンの“愛の手紙”が、ピダムに届いたのはこの後だった。おまけにピダムは、ご丁寧にも契りの指輪をトンマンの元へ送りつけていた。すべてを悟ったトンマンは女王に戻った!善徳女王は、神国を守るため集まった民の前でピダムの反乱軍討伐を宣言し、ピダムは反乱軍の前で善徳女王の廃位を宣言するのだった。
■「ピダムの乱」とは
善徳女王(トンマン)、金春秋(チュンチュ)、金庾信(ユシン)、閼川(アルチョン)と同様に、毗曇(ピダム)も実在の人物。しかしその出自は明らかにされていない。しかし、朝鮮半島に現存する最古の歴史書「三国史記」には「ピダムの乱」はちゃんと記されている。
「三国史記」によると、善徳女王は真平王の長女で、ドラマのような苦労もなく、順番通り王位に就いたとある。朝鮮王朝時代と違って、当時は女性だから絶対に王位に就けないということもなかったようだ。王位に就いてからの女王は、ドラマ同様に民のことを一番に考え、いろいろな功績を残している。しかし、治世の晩年となる642年に、百済によって大耶城が陥落させられ、金春秋が高句麗に救援軍を求めるが援軍は得られず、翌年、今度は、唐に使者を送って、手を結んだ高句麗と百済を討つ救援軍を求める。(このあたりの事情は、同じくBSフジで放送中の「階伯〔ケべク〕」で、百済目線で描かれている)
しかし唐からは援軍を派遣する条件として、女王を廃して唐の王室から新王を立てることを迫られる。もちろんこれを拒否する善徳女王陣だったが、当時、上大等の地位にあったピダムが裏切り、「女主不能善理(女性君主は国を治めることができない)」と唱えて反乱を起こしたのだ。これが「ピダムの乱」。
ドラマのようなトンマンとピダムの愛はなかったものの、実際にピダムの乱はあったのだ。「善徳女王:はそのほとんどがフィクションだが、史実に残る重大事件をうまく絡ませて紹介している。
◇YouTube「善徳女王」予告動画
【作品詳細】【「善徳女王」を2倍楽しむ】