「推奴」の舞台背景を知る!②厳しい身分制度-奴婢と推奴師について
どこの国にも身分制度というものがあっただろうが、朝鮮王朝は徹底した身分制度社会の上で成り立っていた!朝鮮王朝を描いたドラマでよく耳にする「両班(ヤンバン)」というのは、朝鮮王朝からできた。今回は、身分制度を通して、追われる者=奴婢と追う者=推奴師を紹介しよう。U-NEXTで全話配信中!
※特集で紹介する内容は、あくまでもドラマを楽しむためものです。事実と異なる部分もあることをあらかじめご了解ください。また、ドラマを紹介する上で、不適切な表現も使うことがあります。ご理解のうえお楽しみください。 青太文字からいろいろな年表や表は別画面で開きます。必要がなくなったものは適時閉じてください。
■厳しい身分制度-追われる者
当時の身分制度は基本的には前王朝の高麗時代と同じだが、両班という呼称は朝鮮王朝から始まった。王族の次に来る最上位に両班、次に中人、常民(良民、平民)、賎民と続く。これらは手柄や懲罰により入れ替え(ほとんどは転落)は頻繁にあった。
国政を担う官職につくことができるのは「両班」だけ。官職についても官位が厳しく決められており、官衣の色と模様とでひと目でわかる仕掛けになっていた。しかし、両班は儒教しか勉強できない。それ以外の外国語、医学、法律、天文、数学などの雑学といわれる実用的な学問は「中人」が学んだ。王朝の中期以降はこの中人が力を持ってくる。特に、外国語を学んで明や清の通訳として活躍した中人の中には、都合のいい通訳で私服を肥やした者も多くいた。「常民」は、農業、商業、工業を行う平民。良民とも呼ばれたが生活はとても厳しく、殆どが農民で厳しい税が課せられた。「賎民」は、普段の生活は常民と同じだが、奴婢として物と同じく売り買いの対象とされた。奴は男性の奴隷。婢は女性の奴隷を意味する。
ドラマの舞台となった闇の時代は、財政も疲弊し国民の半分以上が賎民に転落していた。身分制度についてもっと詳しく知りたい方は、「朝鮮王朝」豆知識の「◆身分制度」「◆官職の品階」「◆官職の公服」を参考にしよう。
■推奴師-追う者
朝鮮王朝の朝廷にはドラマに登場するように、逃げた奴隷を捕まえて元の持ち主に返す「奴婢推刷法」があり、「推刷都監」という部署があった。各道に「推刷御史」という役人がいてこの役目を担っていた。逃げて捕まった奴婢には、男は右頬に”奴”、女は左頬に“婢”と焼き印を押された。
ただし、ドラマのテギル(チャン・ヒョク)のような、まるで西部劇の賞金稼ぎのような形だったかは定かではない。
韓国にはとても詳細な朝鮮王朝の歴史記録書が現存している。「承政院日記」や「朝鮮王朝実録」は世界最大級の年代記録物として「ユネスコ指定世界記録遺産」に登録されている。しかし、残されているものはほとんどが王の行動に関わることだった。庶民の言動などは軽んじられ記録にとどめるようなことはされていない。詳しくは、「朝鮮王朝」豆知識の「◆歴史記録書」で紹介。
しかし、奴婢推刷法があり担当する部署も役人もいたのだから、推奴師が実在し活躍したのは間違いない。ちなみに、第22代の正祖王は、「奴婢を品物と同じように売り買いの対象にするのは許しがたい」として、奴婢推刷法を廃止し、国が管理する奴婢をなくした。正祖については「イ・サン」を2倍楽しむを参考にされたい。
ナビコンでは、【「推奴」を2倍楽しむ】のコーナーで、本作のドラマの詳しいあらすじと見どころ、ネタバレなしのあらすじ、キャストの魅力、ドラマの背景や文化などについてまとめて紹介しているので、既視聴の方もコーナーを参考に観なおしてみては?
【作品詳細】【「推奴-チュノ-」を2倍楽しむ】
★本サイトで掲載されている記事、写真については無断使用・無断複製を禁止いたします。