【ドラマで辿る韓国の歴史-高麗時代①】「太祖王建」「光宗大王」「千秋太后」等の史劇と年表・予告動画

2013年02月05日10時57分ドラマ
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これまであまり描かれてこなかった韓国史劇の“高麗時代”を舞台にしたドラマがこのところ人気だが、“朝鮮時代”などに比べるとその数はまだまだ少なく、ドラマの背景をイメージするのもなかなか大変な作業…そこで、高麗時代(918年~1392年)を舞台にしたドラマで半島の“高麗時代”を駆け足でたどってみよう!ドラマ未視聴の方は、各ドラマのタイトルをマウスでクリックすると、詳しいドラマの紹介と予告動画の案内があるので参考にどうぞ。
(以下、たくさんの表を開くので、不要になった時点で閉じてください。またここで紹介しているのは、あくまでもドラマを楽しむための歴史入門だとご理解の上お楽しみください)

始めに、高麗時代のドラマにどんなものがあるのか「ドラマの年表(高麗時代)」で確認しよう。

太祖王建ドラマ「太祖王建」より■高麗時代の始まり
ここで半島の歴史が一目で確認できる韓国歴史年表を開いて高麗時代を確認しよう。高麗時代は、918年に王建(ワンゴン)によって建国されその後1392年まで続いた王朝。高麗の前は新羅。あの「善徳女王」でおなじみの王朝だ。新羅は、高句麗と百済を統合し三国統一を果たし繁栄を誇ったが、230年の時が流れやがて衰退し始めると、王位はく奪合戦が繰り返され、豪族や民衆が反乱を起こし、貴族は独自に勢力を保持してきた。そんな中、農民出身のキョンフォンが元百済の地に後百済を建国し、元高句麗の地では僧侶のクンイェが後高句麗を建て暴政をふるっていた。見かねた部下のワンゴンがクンイェに反旗を翻し、新国家建国を決意。ドラマ「太祖王建」(2013年2月現在、BS朝日にて放送中)は、統一新羅がほころび、新羅、後百済、後高句麗の“後三国”の英雄たちが覇権を争った高麗の三韓統一までを描いている。⇒「太祖王建」関連商品を探す
このころ中国大陸では、907年に唐が滅び、五代十国時代の乱世を経て宋が中国を統一。中国北部の遊牧民族(契丹)が、中国・中原への領土拡大を考えていた。

光宗大王ドラマ「光宗大王」より■高麗時代の初期
ワンゴンは三国統一するにあたって、武力で抑えるのではなく可能な限り平和裏に勢力を伸ばすために、各地の豪族の娘と婚姻し、王権を安定させてきた。と言うことで、なんと妃が29人。王子だけでも25人と言う驚きの数。後百済が後継問題の末に滅びたのを見ているワンゴンは、王朝の存続を願って<守るべき10の掟(訓要十条)>遺しており、そのひとつ「長男が王位を継承すること」と定めていた。ところが外戚の勢力争いで2代王の恵宗もその次の定宗も2、3年で王位を追われ、4代王の光宗がやっと王権を強化し統治機構を整えた。光宗は、奴婢の解放令を出したり、科挙制度を施行して官僚制度の整備などを行ったりした。科挙制度と言うのは、君主に対する忠誠心を高めるために儒教思想を持った人材を起用して、全国に王権がいきわたるようにするのが目的。これに合格した者が官僚となれる。また、官僚の位によって官服の色が決めたのも光宗の統治時代。この時代を舞台にしているのがドラマ「光宗大王」(2013年2月現在、BS朝日にて放送中)だ。⇒「光宗大王」関連商品を探す
千秋太后「千秋太后」より内政はどうにか落ち着いたが、外政は大変な状態が続く。6代王の成宗の時代には契丹が高麗領土の割譲を要求し、続く穆宗、顕宗の時代までに、3度にわたって契丹が侵略してくる。このあたりを舞台背景にしているのがドラマ「千秋太后」⇒「千秋太后」関連商品を探す

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