曹操・劉備・孫権それぞれの戦い…ドラマ「三国志Three Kingdoms」第70・71話みどころと前回までのあらすじ-BSフジ

2012年07月09日11時10分ドラマ
第71話「骨を削り毒を除く」

BSフジの中国時代劇「三国志Three Kingdoms」は9日に第70話「楊修の死」、10日に第71話「骨を削り毒を除く」を放送、三国鼎立の状態からついに三つ巴の戦となり、曹操に勝利した劉備に対し孫権が攻め入る事態へと発展する。覇道を進むにつれ劉備もこれまでとは変わらざるを得なくなり、その方針転換は少しずつ周囲に影響を及ぼしていく。

■第66話「落鳳坡」
仁義を重んじる劉備は、それに絡められて覇業に必要な蜀の攻略を行う事が出来ずにいた。そんな劉備の苦悩を知るホウ統は劉備に仁義と大業を両立させると告げるのだった。劉備が駐屯している間、すぐれた施政で人心を得ていた。これに危機感を覚えた劉璋は、劉備から10万石の兵糧を求められたにも関わらず3万石のみでごまかそうとする。早く劉備を追い払いたいという考えからだった。一方、ホウ統は張松が劉備に内通していると偽の手紙を作って張松を処刑に追いやる。劉璋は張松の首を劉備に送り宣戦布告をする。この状態で、劉備はやむを得ず劉璋と戦うことになる。出陣に際しホウ統は自らが先陣を買って出、更に劉備から愛馬・的驢を借り受ける。そして落鳳坡にさしかかると、鳳雛と呼ばれるホウ統は自らの死に場所に相応しいと感じ入る。ホウ統はそこへ伏兵がある事を予見しており、的驢に乗ったホウ統は全身に矢を浴びて戦死する。同行していた魏延は生き延び、ホウ統からの遺書を劉備に渡す。そこには、劉備の軍師である自らの死を大義として蜀に攻め入るようにとしたためてあった。ホウ統の死は劉備に大きな悲しみを与えると共に一つの決意の源となった。劉備は本格的な戦に向け、諸葛亮に援軍を要請する。諸葛亮は関羽に荊州の守りを任せ自ら出陣することにするが、関羽の守りに対して一抹の不安を覚える。かくて張飛・趙雲を従えた諸葛亮の出陣の知らせは劉璋軍を震え上がらせる。そしてとうとう馬超と張飛が激突、戦いの雌雄はつかず夜になっても続けられた。

■第67話「劉備、益州を領す」
その夜、松明をともしてまで張飛と馬超の戦いは続けられるが伯仲する実力から終わりが見えなかった。馬超の活躍に感嘆する劉備を見て取った諸葛亮は、馬超を劉備に投降させると申し出た。諸葛亮は馬超の主君である張魯に計略を用い、馬超を疑わせることに成功する。退却するよう命じられた馬超は仕方なく自軍へ戻るものの、その関所は閉じられて入る事が出来なかった。兵糧も絶たれて進退に窮した馬超の元へ諸葛亮が使者としてやってくる。一度は警戒した馬超だったが、諸葛亮の言葉で劉備に帰順することを決意。馬超は軍を成都まで進め、劉備を落とした馬超の凱旋かと勘違いした劉璋は一度は喜ぶが、馬超が寝返ったことを知ると戦意を喪失してしまう。ここでついに劉璋は劉備への投降を決めるのだった。2年をかけて劉備はようやく蜀を征した。諸葛亮は蜀では報法律を簡略化して温和な政策を取るべきと進言したが、劉備はそれを退けて秩序ある国づくりのために法や刑罰を厳しくするべきだと主張した。これまでとは違う劉備の変化を見て取った諸葛亮は、自らも気を引き締める必要を感じていた。
その頃荊州を守っていた関羽にも劉備が蜀を征した知らせが届き、喜びに沸く。諸葛亮の進言により、劉備は関羽、張飛、趙雲、黄忠、馬超の5人に「五虎大将軍」の称号を授けるが、関羽は新参者の馬超と並べられたことが気に入らなかった。馬超と腕比べをしたいという書簡が荊州から蜀へ届き、関羽の不満を察した諸葛亮は関羽の実力と共に髭まで褒めてとりなすのだった。一方、孫権は劉備が蜀を得た事について苛立ちと危機感を募らせていた。早く荊州を取り戻したい孫権は、諸葛亮の兄であり呉の文官である諸葛均を捕らえてしまう。

■第68話「単刀会」
成都に呉の使いとして派遣された諸葛謹は、自らの親族38人が孫権によって幽閉されているという窮状を訴え、荊州を渡さなければ所轄一族を殺害すると脅しに出た。身内を盾に取られた諸葛亮はやむを得ず荊州を孫権に返すように願い出る。孫権の卑劣な策略に憤慨しながらも、荊州全てを返すと基盤が無くなることから、先に三郡のみ返還という約束を取り付ける。劉備は関羽に三郡を返還するように命じるが、関羽は自らの考えで返還することを断った。呉から荊州に派遣された役人はことごとく追い返されてしまった。ついに副都督の呂蒙が使者に来るが、それでも関羽は大都督の魯粛が来るべきと納得しない。魯粛は重い病にあることから、呉との堺である陸口で交渉することにする。病を押して交渉の場に来た魯粛に対しても関羽は一向に意見を引かない。単身訪れた関羽に対し呉軍は殺気立ち、今にも斬りかからんばかりだった。ここで関羽を殺害してしまっては劉備を敵に回すのは必至であり、魯粛は酒をあおる隙に自らを盾にして逃げるように関羽に提案する。
関羽は青龍刀を右手に、左手に魯粛の腕を取って外に出て行く。周囲は身構えるが魯粛を従えた関羽に手出しは出来ない。桟橋まで向かう間、関羽は魯粛の振る舞いに感銘を受け、江東に英雄ありとして荊州三郡を返却することを約束した。無事に交渉を果たした魯粛だったが、無理が高じて倒れ付してしまう。その身を案じる呂蒙に、魯粛は呂蒙こそが後継者となるように言い残して息を引き取った。享年46歳であった。
その頃、曹操軍の拠点である許都では御前会議が行われていた。皇帝を前にしても不遜な態度を取る曹操に対し、意見する家臣はほとんどいなかった。この日の議題は、曹操を魏王へ推挙すべしという内容であった。荀彧一人のみは慣例に背くとして反対をしたが、程昱他の家臣たちは一同に曹操の魏王を望み、皇帝に奏上する。献帝は自らの意思も無く曹操を魏王に任じる他は無かった。皇族以外が王になってはいけないという始皇帝以来の決まりを破り、ついに曹操は魏王を称するようになる。漢王朝を重んじる立場を取る荀彧は、次第にその志を曹操と違えるようになっていた。

■第69話「曹丕、乱を平らぐ」
曹操が魏王となったことが決まった直後、都にある白馬門で本来なら通ってはならない曹植が魏王の威を借りて通行しようとしていた。そこへ荀彧が現れ、規則を破ってはいけないと道をふさぐ。強引に突破しようとする曹植だったが、そこへ現れた曹操は曹植を殴打し、騒ぎを起こした事を叱りつける。一方で門番を処刑し、門を取り壊すように命じる。門が無ければ決まりは無くなる、自らこそが決まりであると言い放つ曹操を見る荀彧の目には哀しみが宿っていた。曹操がその場を去ると、心労のあまり荀彧は倒れてしまう。
その後曹操は荀彧を気にするが、3日も何も食べていないことを聞き程昱に見舞わせる。曹操から果物の見舞いであると箱を受け取った荀彧は、中身が空であることで曹操にとって自分が必要の無い人間であると知らされる。絶望のあまり荀彧は自害してしまう。荀彧の位牌を前にした曹操は、荀彧と共に歩んだ日々を回顧する。付き従っていた曹丕は、位牌に向かって荀彧こそが曹操の親友であったと語りかける。曹操は曹丕の言葉を認めつつ、荀彧が最後に自分に背いたことが間違いであったと宣言する。それは自らが世を統一することの誓いでもあった。
荀彧の死は知れ渡り、曹操を憎く思う一派の叛乱のきっかけとなってしまう。曹操の首を狙う反乱軍に、文人である曹丕も慣れない刀を持って曹操を守ろうと戦う。しかし翌日、司馬懿は疑い深い曹操にとって、叛乱のあった場所にいる事自体が間違いであったと取り乱して曹丕を叱責する。曹操を守ったことを誇らしく思っていた曹丕は絶望に突き落とされる。翌日、曹操は全ての家臣を呼び、叛乱のあった日に賊を討とうとしたものを赤旗のもとに、門を閉ざして出なかったものを白旗のもとに集めた。白旗に集まったものたちに曹操は報奨金を渡して下がらせ、赤旗に集ったものは全て処刑してしまう。曹丕は自らにも処罰が及ぶと恐れおののくが、それに反して曹操は不器用な曹丕が必至で刀を振るっていた姿を認め、曹丕を跡継ぎにすると指名するのだった。そして曹操は司馬懿を呼び、正式に曹丕を補佐することを任命するのだった。
そこへ、漢中を制圧したばかりの曹洪から、劉備軍の黄忠が漢中に攻め入ってきたとする知らせが入った。早速曹操は司馬懿に意見を求めると、司馬懿は今必要なのは荊州であると進言する。曹操は自らも出陣の準備を始め、司馬懿を同行させる。一方、劉備軍でも漢中攻略に対して士気が上がっていたが、諸葛亮のみは孫権の動きを案じて反対の姿勢を取った。しかし劉備は諸葛亮の意見を聞かず、張飛や魏延の意見を採択して漢中攻略に踏み切るのだった。
この戦いの中、孫権のもとへは曹操、劉備双方から援軍を求める書状が届いていた。孫権はどう対処するべきか陸遜に相談すると、陸遜はどちらにも良い返事をした動かず様子を見るという策を立てた。孫権は陸遜の意見を採用し、更に双方に兵糧を要求するという点も盛り込んだ。そして曹操と劉備から得た兵糧で来るべき戦いに備えて兵の訓練を行うように陸遜に命じるのだった。そして定軍山では曹操と劉備の軍勢が激しい戦闘の最中にあった。

「三国志Three Kingdoms」は月曜から金曜の午後5時から放送。作品オフィシャルサイトでは予告篇とダイジェスト動画を公開中。

ドラマ「三国志」公式サイト
BSフジ「三国志Three Kingdoms」

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