【蒼穹の昴】西太后と光緒帝のゆかりの地・頤和園の魅力[コラム]
ドラマ「蒼穹の昴」、16話を過ぎて一つの山場を迎えていますね。西太后の引退が焦点になっていますが、その都度名前が挙がる「頤和園」について今回はお話したいと思います。ドラマの中でも西太后の避暑地として紹介されており、その建設費用が軍費から流用された事が日清戦争の敗因の一つとも言われていましたね。地図などをご覧になればお分かりでしょうが、かなりの広さです。ここは西太后の時に突然建てられた場所ではなく、元の時代に水運・貯水などの名目で作られた人工湖に端を発します。時代が下って明代に人工湖周辺に庭園が作られ、更に現在の庭園の原型が作られたのは乾隆帝の頃であります。その後、1860年の第二次アヘン戦争の際に英仏連合軍によってすっかり荒らされてしまったものを光緒帝が再建したのです。西太后の隠居後の住処として再建が始まったのは光緒9年とのことですから、ドラマで言うと梁文秀が科挙に合格する3年も前の話です。まだ実権を握っている時から引退場所として建設をしていた事は、西太后にとっていつまでも出しゃばりませんという世間的なポーズもあったのかもしれませんね。後は、純粋に外国人に荒らされた場所を修復する事で威厳を回復するという精神的な意味もあったのかと私は考えます。
さて、こうした建設の背景の次は具体的な頤和園そのものについてお話しします。北京観光コースには必ず入る場所であり、何といっても世界遺産でもあるので人気の観光地です。私は4度訪れたことがありますが、結局全部は周りきれませんでした。一番印象に残っているのは冬の景色です。頤和園の大部分を占める昆明湖が凍りつき、湖の中心まで行って見上げたシンボル・仏香閣がとても綺麗でした。凍った湖ではスケートを楽しむ人も大勢いましたが、ちゃんとしたスケートリンク用になってる訳でなく、氷が薄い部分には申し訳程度に石で囲んであるアバウトっぷりも強烈でした。
この地は西太后と光緒帝を語る上でとても重要な場所でもあります。後に西太后が光緒帝を軟禁する場所がこの頤和園内の玉瀾堂(ぎょくらんどう)という場所です。観光ルートでいうと正門になる東宮門にかかる「頤和園」の額は光緒帝の直筆とのことですが、そこを入って程なく進んだ場所に玉瀾堂はあります。外が見えないように窓が塞がれているのが痛々しいです。暗い部屋で光緒帝は何を思ったのか…ドラマでは対立しつつも心が通い合う瞬間のようなものが時折見えるだけに、その後の歴史を思うとやるせなさを感じます。この地は蒼穹の昴のファンが訪れると特に色々な思いの湧く場所かと思います。景観だけで言っても乾隆帝時代に作られた巨大な石の船や、同じく乾隆帝が蘇州の街を再現して作った「蘇州街」などの見どころもあります。蘇州街は商店が立ち並び、そこで皇帝と皇后は買い物ごっこをして楽しんだとか。現在も商店はそのままで土産物屋さんストリートになっています。それにしてもドラマ内では西太后に説教している乾隆帝ですが、ちゃっかり贅を尽くした遊びをしてるじゃん、とやや突っ込みを入れたくなる気分です。
頤和園の魅力を動画で楽しむ
いつかは北京に行きたいと思っている方にお勧めしたいDVDをご紹介しましょう。中国、特に北京は世界遺産も多く名所旧跡の宝庫ですから映像になったものは多々あります。ウェブ上では「中国大紀行」という映像ライブラリーのサンプル動画がYouTubeで公開されています。頤和園の映像も少しだけありますよ。頤和園を含むDVDは何種類かあるのですが、蒼穹の昴ファンならばこのチョイス!と思ったのが「中国世界遺産2」という一枚です。収録場所は頤和園、天壇公園、明清皇家陵の三つという絶妙な選択です。頤和園は言わずもがな、天壇公園は皇帝が祭祀を行った場所なのですが、光緒年間に落雷で消失した祈念堂を光緒帝が建て直したといういわれがあります。ドラマ内では見られない場所ですが、ここも円形のお堂が珍しくて素晴らしい眺めです。明清皇家陵は読んで字のごとく、明・清の皇帝たちのお墓が集まった場所です。光緒帝の墓である崇陵もこの中にありますが、盗掘された過去があるという以前に他の皇帝の墓よりもうらぶれた感じがしたのを覚えています。回を追うに連れて無性に光緒帝プッシュの私にとってはかなりツボの3ヶ所です。大抵北京の観光地でビデオを作るとこの墓凌群は北京からはやや遠くて外されるので、珍しい構成だと感じました。北京にお出かけ前には一度予習をしてから行かれる事をお勧めします。
ドラマ「蒼穹の昴」は毎週日曜日よる11時から放送です。予告および関連動画はドラマ公式サイトにて視聴出来ます。
あらすじ|NHKドラマ「蒼穹の昴」
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