ザ・マフィア全4話

海をはさんで4,000マイル離れた都市に君臨する2人のゴッドファーザーたち。ニューヨークを牛耳るのは、“テフロン・ドン”と呼ばれたフィアのボスであることを公言するジョン・ゴッティ。一方のシチリアでは影の黒幕として悪名高い極悪非道のトト・リイナ。1980年後半から1990年前半にかけて、両都市で徹底的なマフィア掃討作戦が実行された。1985年、FBIはアメリカ5大ファミリーのボスたちを一斉に検挙した。そこには、ボスのボスといわれた存在、ポール・カステラーノの顔もあった。ところが1985年11月16日、裁判を待つカステラーノはゴッティとのミーティングに出かけた際あっけなく暗殺されてしまった。その直後からガンビーノファミリーのボスにのしあがったゴッティは、幾多の容疑をかいくぐっていたが、1992年1月、FBIの執拗なまでの捜査が実を結びついにニューヨークのゴッドファーザーは逮捕された。更にガンビーノファミリーの幹部だったサミー・グラヴァーノが裁判で、ゴッティがカステラーノを殺害したことを証言した。2002年、ゴッティは獄中で癌のため死亡した。一方、“けだもの(Beast)”という異名をもつコルレオ-ネ出身の残忍きわまるボス、トト・リイナも、徐々に追い詰められていった。1980年前半、リイナが繰り返す殺人のせいで、パレルモの町の石畳は真っ赤な血に染まっていた。そこでパレルモ市長のレオルカ・オーランドは、この殺人戦争を終わらせることを宣言。勇敢な検察官ジョバンニ・ファルコーニが登場し、シチリアのマフィア撲滅に命を駆けた。彼の情熱と功績が、イタリア全土で展開したマフィア撲滅キャンペーンを引き起こし、そして1993年1月ついにトト・リイナが逮捕された。驚くべきことに、リイナは警察に気づかれず20年以上もの間パレルモの町に身を潜めていたのだ。今日、米国のマフィアは以前の組織の影でしかない。しかし、シチリア島では、ファミリービジネスを再建するためゆっくりと力を回復しつつあるのだ―。
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  • 再生時間 : 47分
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  • 210円
    7日間
  • 2010年01月12日 ~

(C)NGCI/John Groves

1979年~1984年、シチリアから2兆ドル相当のヘロインがニューヨークへ持ち込まれ、双方にとって実りのいいビジネスが展開された。ところが薬物の利にともない壮絶な戦争の火蓋がきって落とされたのだ。シチリアでは巨万の富を産み出すこのシンジケートの支配権をめぐり、またニューヨークでは“ピザ・コネクション”の利を巡って―。元DEA捜査官のフランク・パネッサは、アメリカできわめて危険な潜入捜査を実行した。彼は世界を股にかけるドラッグ界の大御所をよそおい、東海岸沿岸部でコカインを売りさばいていたマフィアの摘発に成功したのだ。また、シチリア出身のFBI捜査官カーマイン・ルッソは、5年で1兆6億ドル分ものヘロインを売ったガイタノ・バデラメンティを逮捕。バデラメンティはシンジケートを牛耳るボス、トト・リイナのことは口を割らなかった。ところが、バデラメンティの相棒でもあったトマソ・ブシェッタが捕まり、シチリアを牛耳るトト・リイナやシンジケートのからくりについてありとあらゆる情報をイタリアの判事ジョバンニ・ファルコーニに告白。オメルタと呼ばれるマフィアの掟を破った裏切り者の出現が、シチリアのマフィア組織を追い込んでいった。
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(C)NGCI/John Groves

1970年代後半までには、シチリア島のマフィアは毎年、アメリカへ何百万ドルものヘロインを密輸していた。彼らは、そのヘロインをアメリカ中にあるシチリア人所有のピザ屋経由で分配するという独自のシンジケート“ピザ・コネクション”を構築していた。ところが、競合するマフィアのドンやファミリーがより大きな取り分を求めたがために、ヘロインから得られる莫大な利益が残忍な暴力に結びつくこととなった。アメリカでは、強欲なゴッドファーザーの真っ昼間の暗殺という事件が起き、シチリアでは、コルレオーネシとして知られるコルレオーネ村出身のマフィア。マーロン・ブランドが「ゴッドファーザー」の中で演じた役はここから取られている)残忍な一味が、マフィアのトップへのし上がるべく残虐行為を繰り返していた。そしてアメリカの一角で、残忍な新世代マフィアと命がけで戦う覚悟をした捜査官との戦いの火蓋が切って落とされた。シチリア出身の元FBI捜査官、ジョセフ・ピストーネ。彼はドニー・ブラスコという偽名でニューヨークの巨大組織ボナーノファミリーの内部へ潜入した。また同じく元FBIのカーマイン・ルッソは、マフィアのドラッグビジネスのからくりを暴いていった。
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(C)NGCI/John Groves

結束力のゆるいギャング集団が、いかにして合理的な企業のような多重国犯罪組織“マフィア”へと発展していったのか―。1931年、伝説のギャング、チャールズ"ラッキー"ルチアーノのリーダーシップの下、ニューヨーク、バッファロー、シカゴ等のファミリー間での論争を解決。さらに、方針を確立するために「コミッション」と呼ばれるマフィア重役会が発足した。その後1957年には、シチリア島およびアメリカのマフィアがパレルモの高級ホテルに集結し、ヘロイン密輸入の開発について議論した。その結果、シチリア人がヘロインを入手、精製し、アメリカに輸出することが取り決められた。これはまさに工業規模のヘロイン産業で、両国の組織は夢に見た以上の億万長者になれると思っていた。しかし、その成功は相当な犠牲を伴うことになったのである。ニューヨーク州アパラチンで開かれた全米最大のマフィア会議での大規模摘発を皮切りに、1963年、悪名高き裏切り者ジョセフ・ヴァラキがアメリカ上院調査小委員会のテレビ公開討議で証言したことによって、アメリカの法執行部は犯罪組織の存在を認め、取り締まりを強化した。結局、マフィアのヘロイン・ビジネスへの参入は暴力の連鎖を引き起こし、今までにないマフィアへの弾圧へと当局を駆り立てることとなったのである。そしてその弾圧は今日まで続いている―。
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