知る楽 歴史は眠らない “貧困”国家 日本の深層全4話
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昭和56年(1981)、戦後の社会福祉政策に転機が訪れます。厚生省が生活保護の支給抑制を各自治体に求めた「123号通知」の登場です。厳しい資格審査と自力での貧困脱出を促すもので、貧困は自己責任という論調が広がりました。支給を断られて餓死者も出る状況に、京都の生活保護支援グループが立ち上がります。当時の関係者へのインタビューで生活保護の現場での戦いに光を当て、「自己責任論」克服の道を探ります。
(C)NHK
昭和30年(1955)に始まった高度経済成長期、繁栄をおう歌する日本を底辺で支えた人々がいました。ビルや鉄道の建設現場で働いていた日雇い労働者たちです。やがて石油ショックを機に、定住場所もなく年金や生活保護も受けらない彼らの生活は追い詰められていきます。日雇い労働者が数多く集まった東京・山谷(現在の台東区・荒川区にまたがる地域)を舞台に、戦後日本の成長の影で見えなくなった貧困の実態に迫ります。
(C)NHK
日露戦争後、格差社会が訪れた大正時代。軍需産業で財を成した富裕層と低賃金で働く貧困層という格差です。貧困は自己責任として手を差しのべない政府に異を唱えたのが、東京市社会局で調査活動に携わる草間八十雄(やそお)でした。草間は貧困層の人々の話に耳を傾け、個人の力ではどうにもならない社会構造の変化が格差の要因だとして、国の救済を訴えますが…。格差社会の歴史をたどり、貧困とどう向き合うべきかを考えます。
(C)NHK
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