中島健人、京成王子を封印…ドキュメンタリータッチの新TVCM「京成スカイライナー」13日OA(コメント全文)

11月12日11時45分 商品・CM

京成電鉄株式会社(本社:千葉県市川市、社長:小林 敏也)は、2019年から京成スカイライナーのイメージキャラクターを務めている中島健人を起用した新TVCM「走る先に、夢がある。」篇(15秒、30秒)を11月13日(水)から全国で放送、YouTubeにて先行公開する。



「京成スカイライナーに乗り込んだ瞬間から、新たな夢は始まっている」をコンセプトとした本TVCMは、アーティストとして新たなステージに向かって走り始めた中島健人のひたむきな表情を切り取り、ドキュメンタリータッチの映像で構成してる。

中島

京成スカイライナーを利用されるお客様のシンボル的存在として登場する中島は“役を演じる”ことなく、楽曲創作やダンスなど新たなクリエイションに対して全身全霊で打ち込むリアルな姿を披露。自身のバックグラウンドとシンクロする設定や臨場感に満ちた映像にも「とても共感するところがある」と語り、思いを込めたナレーションも担当している。

2019年の初出演から人気を博してきたキャラクター・京成王子を封印し、京成スカイライナーと共に夢に向かって走る中島の“演じない熱演”に要注目だ。

中島健人

中島は京成スカイライナーでの撮影にハイテンションで臨み、リラックスした雰囲気の中で自然な表情を見せた。撮影中、演技なしで車窓の景色を楽しむ中、歌を口ずさむ場面も。撮影後、京成スカイライナーの速さを称賛し、両手で「S」ポーズを取って軽やかに駅を後にした。また、ダンスやレコーディングシーンでは真剣な表情を見せ、ナレーション収録でもしっかりと手応えを感じた。

動画公開ページ
※新TVCM及び撮影時のメイキング動画は、11月13日(水)13時(予定)から公開。



■中島健人インタビュー
―――これまでとは内容が大きく異なる新TVCMの撮影を終えた感想をお聞かせください。

中島「京成スカイライナーCMシリーズといえば“京成王子”という印象が強いと思いますが、今回は僕の普段の姿にリンクするようなシーンが多くてとても新鮮でした。いろんな場所に移動して撮影したり、衣装チェンジもたくさんあったりしたので、すごく充実した時間が過ごせたと思いますし、僕のいろんな姿に注目していただきたいと思っています。僕にとっても今年は“変化の年”だったので、京成スカイライナーのCMも僕と一緒に新しい道を歩いていくという気持ちがしました」

―――2019年の初出演から5年が経過し6年目に突入しましたが、現在のお気持ちをお聞かせください。

中島「もう6年も携わらせていただいている…うわ~、すっごいですね(笑)。感動ですよね。海外の方だったり日本国内から外国に行く方だったり、成田空港で必ず京成スカイライナーのポスターを見るという方がとても多くて、その都度、連絡も来たりします。みんなの夢広がる瞬間に僕も立ち会えているような気がするし、また6年目を迎えるということで、これからも尽力していきたいなっていう気持ちでいっぱいです」

―――新TVCMは中島さんの芸能活動の裏側を切り取ったドキュメンタリータッチのストーリーですが、さらにワンシーン増やせるとしたら、どんな裏側を追加したいですか?

中島「今回はダンスシーンもそうだし、作詞作曲シーンも本当に僕の“素”に近いテンション感で撮影して、自分の“素”をそのまんま切り取ってもらったっていう感覚でもあるんです。だから自分の“素”が出るっていうフェーズになってくると、例えば海外の友達と交流したり、一緒に食事したり、そういう瞬間なんじゃないかなって思います」

―――新TVCMのメッセージは「走る先に、夢がある。」ですが、中島さんの現在の夢を教えてください。

中島「アニメのタイアップとか、海外の方に音楽を聴いていただける機会が増えたので、海外のフェスに出演してみたいと思っています。Jポップの特長をさらに生かして、日本人アーティストとして、いろんな形で参加していくのが僕の次の目標です」

―――京成スカイライナーに乗って旅をするとしたら、どこへ出かけたいですか?

中島「パリです。僕が最後にパリに行った記憶って本当に幼少期の頃で…しかも体調が悪くなっちゃったんですよ。両親がルーブル美術館に僕を連れて行った時に撮った写真は、『サモトラケのニケ』の前で横になっている僕の写真なんですよ。もう、ニケよりも完成していないくらい(笑)。ぜんぜんパーフェクトな自分じゃなかったので、次に行った時は元気な姿で『サモトラケのニケ』の像の前で写真を撮りたいですね」

―――新TVCMをご覧になる視聴者の皆様へメッセージをお願いします。

中島「京成スカイライナーの素敵なCMが出来上がりました。『走る先に、夢がある。』、中島健人でした」