【韓国歴史コラム】「帝王の娘 スベクヒャン」最終回で武寧王から聖王へ!実在の王とドラマのその後を紹介
「帝王の娘 スベクヒャン」最終回は、病状が悪化した武寧王から王位を譲られたミョンノンが、新たな百済の王となった!今回は実在した武寧王(イ・ジェリョン)と聖王(チョ・ヒョンジェ)、それぞれの治世とドラマのその後を紹介しよう。予告動画は作品サイトで公開中だ。
「帝王の娘 スベクヒャン」は、百済第25代・武寧王の娘として実在したスベクヒャンをモデルにした大型ロマンス時代劇。各話のネタバレあらすじと見どころ、時代背景などは【「帝王の娘 スベクヒャン」を2倍楽しむ】でまとめて紹介している。
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【系図】モデルとなった実在の2人の王紹介
ドラマの舞台は百済、新羅、高句麗の3国がしのぎを削る三国時代。最終回では百済中興と海洋帝国の建設という大業を成し遂げた第25代王・武寧王から26代王・聖王へと王位が継承された。2人の王の紹介の前に、【百済王朝系図】に目を通しておこう。系図では、ドラマ「朱蒙」の主人公・チュモン(東明王)の三男で百済の初代・温祚王から第31代・義慈王まで簡単な解説付きで紹介している。
武寧王(ムリョンワン)は日本生まれで百済を立て直した王
●百済第25代王。462年生-523年没、在位:502年-523年
武寧王役:イ・ジェリョン歴史書『三国史記』などでは武寧王は24代・東城王の次男で、東城王が暗殺されて王になったと記されている。『日本書紀』によると、武寧王は倭国(日本)生まれとされており、即位については東城王が暴虐であったので、暗殺して武寧王が即位したとされている。武寧王は高句麗をけん制するために中国の南朝と緊密な関係を築き、国力向上を図り、高句麗に占領されていた漢城(ハンソン、現在のソウル)を奪還し、百済を再び強国とした。
イ・ジェリョンが演じたドラマの武寧王は、東城王の暗殺に関与し、子を入れ替えるなど事態を混乱させた(4-5話ネタバレ)。だが最終回でミョンノンに譲位して死亡した。
聖王(ソンワン)は日本に仏教を伝えた王
●百済第26代王。生年不詳-554年没、在位:在位:523年-554年
ミョンノン(後の聖王)役:チョ・ヒョンジェ聖王は、523年5月に武寧王が死去したことにより王位についた。本名は明禯(ミョンノン)。『日本書紀』では聖明王または明王とある。高句麗に首都の漢城を奪われ、南方の熊津(ウンジン)時代(475-538年)に逃れて以降、王と貴族の間で内紛が相次いでいたが、武寧王が漢城を奪還し国力が回復してきたおかげで、聖王は538年に首都をさらに南の泗沘(サビ)に移して貴族勢力を一掃、国力を回復した。中国の梁(りょう)から文化・技術を受容。国策では仏教を信仰して大通寺を建立した。南下する高句麗に対抗するために新羅と共闘し、かつての本拠地の漢江流域を奪回するが、やがて両国の連携が破綻する。聖王は倭国(日本)との連携をはかり、博士を派遣して仏像・経典などを贈り仏教を伝えた。554年、聖王自ら兵を率いて新羅と戦ったが、管山城の戦いに敗れて戦死。
ドラマの聖王は東城王の息子だが、武寧王の実子と入れ替わって武寧王の息子として育ったとされている。演じたチョ・ヒョンジェは「薯童謠-ソドンヨ-」で百済第30代の武王(ムワン)を演じているが、「薯童謠」の冒頭で聖王の戦死が描かれる。2度も百済の王を演じたチョ・ヒョンジェについてはこちらで詳しく紹介している。
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【ドラマの年表】■ドラマのその後は?
聖王が戦死し、長男の威徳王(554-598)が王位を継ぐが、新羅に圧迫されて中国の隋を頼る。隋に高句麗征討を訴えるが認められないまま死亡。息子がいなかったために弟で聖王の次男・恵王(598-599)が2年で死亡し、その長男・法王(599-600)も2年で死亡。第30代・武王の代には聖王の戦死以降修復不可能なほど悪化していた新羅を追い詰めるが、その途中641年に死亡。長男の義慈王が王位を継ぐ。高句麗と結んで新羅を追い詰めるが、新羅と唐の連合軍に攻め込まれて降伏、660年百済最後の王となり、百済は滅亡した。
本作と同じ時代やその後に続くドラマについては【ドラマの年表:神話~三国時代】を参考にされたい。
◇「帝王の娘 スベクヒャン」予告動画
【作品詳細】【「スベクヒャン」を2倍楽しむ】