『我来たり、我みたり、我勝利せり』“上級国民”による鮮やかな人間狩りシーン&場面写真公開

17時22分映画

オーストリア発の衝撃作『我来たり、我みたり、我勝利せり(原題:Veni Vidi Vici)』が、6月6日(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町、渋谷、新宿武蔵野館ほか全国順次公開されることが決定。本日、“人間狩り”で幕を開ける衝撃のオープニングシーンと場面写真が一斉解禁となった。



■『我来たり、我みたり、我勝利せり』とは

本作は2024年のサンダンス映画祭やミュンヘン映画祭で話題となった問題作であり、「ユーモアは危機においてこそ最大の武器となる」という信念のもと、観る者に笑いと怒りを同時に喚起する異色のブラックユーモア作品だ。日本初上陸となるこの作品の製作には、世界三大映画祭で称賛された『パラダイス三部作』や『サファリ』などを手がけたウルリヒ・ザイドルが名を連ねている。

物語の主人公は、巨額の富を持つエレガントな紳士アモン。家族思いの理想的な父親でありながら、彼の趣味は“人間狩り”という異常なものだった。アモンは金さえあれば何でも可能な社会の象徴として描かれ、その振る舞いには一切の制限も倫理も存在しない。彼の娘ポーラもまた、父の姿を見ながら“上級国民”としての価値観を学び、やがて自らも“狩り”を望むようになる。誰にも止められない、止めることができない富裕層の暴走を、作品は冷徹な視線で描き出す。

■冒頭映像解禁

解禁された冒頭映像では、自由主義思想の象徴ともいえるアイン・ランドの「誰が私を止めるのか?それが問題だ」という言葉とともに、サイクリング中の男性が突如銃撃されるシーンが映し出される。銃撃された男性が崖下へ転落すると、そこへ現れるのが猟銃を携えたアモンとその執事アルフレート。アモンは殺害した男性の自転車に平然と乗り換え、笑顔でサイクリストたちに挨拶しながら颯爽と走り去る。この一連のシーンは、常識を覆すほど異様で、同時にアモンという人物の狂気と余裕を端的に表している。



■場面写真一挙解禁

さらに、アモン一家の日常を切り取った場面写真も公開された。家族で射的を楽しむ姿や、長女のクリケットの試合を応援するシーンなど、どれも非常に仲睦まじく幸福に満ちて見える。しかし、それがいっそう本作の不気味さを際立たせる。彼らが住む豪邸の規模は日本ではほとんどお目にかかれないレベルで、天井の果てが見えず、庭の端も遠く霞むほど。この異様な富の象徴は、現実世界にも確かに存在している。

アモンの“人間狩り”は数ヶ月にわたり続き、誰も彼を止めることができない。法も、メディアも、世論も無力な世界。その狂気を目の当たりにする娘ポーラが、次第に自らも狩りに興味を持ち始める姿が、本作のもうひとつの恐怖である。恐ろしいほどエレガントで、ぞっとするほど現実味を帯びたこの物語は、資本主義が極限に達した果ての風景をブラックユーモアを交えて描き出し、観客に深い不快感と鋭い問題意識を突きつける。まさに、“上級国民”による“戯れ”に、果たして裁きの鉄槌は下るのか——という問いが、観る者に突きつけられる作品だ。

■あらすじ


起業家として億万長者に成り上がり、幸福で充実した人生を送るマイナート家。一家の長であるアモンは、家族思いで趣味の狩りに情熱を注いでいる。ただ、アモンが狩るのは動物ではない。莫大な富を抱えた一家は“何”だって狩ることが許されるのだ。アモンは“狩り”と称し、何カ月も無差別に人を撃ち殺し続けている。“上級国民”である彼を止められるものはもはや何もない。一方、娘のポーラはそんな父親の傍若無人な姿を目の当たりにしながら、“上級国民”としてのふるまいを着実に身につけている。ある日、ついにポーラは父親と“狩り”に行きたいと言い出す。

■映画概要


監督:ダニエル・ヘースル、ユリア・ニーマン
製作:ウルリヒ・ザイドル
出演:オリヴィア・ゴシュラー、ウルシーナ・ラルデ、ローレンス・ルップ、マルクス・シュラインツァー、ゾーイ・シュトラウプ
2024 年/オーストリア映画/ドイツ語/86 分/カラー/5.1ch/スコープサイズ/原題:Veni Vidi Vici 字幕翻訳:吉川美奈子
後援:オーストリア文化フォーラム東京 映倫PG12 ©2024 Ulrich Seidl Filmproduktion GmbH
配給:ハーク 配給協力:フリック www.hark3.com/vvv