景宗(キョンジョン)はなぜ悲運だったのか|「ヘチ」から読み解く史実と人物像

17時40分ドラマ
©SBS

父王が自分でなく弟イ・グム(チョン・イル)を後継ぎと考えていたことを知りながら王座に就いた景宗(ハン・スンヒョン)…そんな景宗はどんな人物なんか?実在した朝鮮王朝第20代王・景宗(キョンジョン)を紹介する。



「ヘチ 王座への道」は、民のための政治を行った名君とされる朝鮮王朝第21代王・英祖(ヨンジョ、イ・グム)の若き日の愛と友情の物語。

景宗は、母・禧嬪張の処刑を幼くして目撃し、派閥争いの渦中で病弱なまま王位についた“悲運の王”として知られる。 「ヘチ 王座への道」ではこの景宗を俳優ハン・スンヒョンが演じており、史実に近い人物像として描かれている。

景宗は19代王・粛宗と禧嬪張の長男として1688年に誕生。粛宗に非常に期待され、側室の子でありながら3歳で世子に冊封された。しかし、政治の実権を握っていた老論と少論の対立が激しく、母を支持していた南人は失脚。景宗自身も、張氏への冷遇や派閥の争いに翻弄されることになる。

13歳のとき、母が罪に問われ毒殺される場面を目撃したことは大きな心の傷となり、景宗は病弱で繊細な青年に育つ。世子時代から体が弱く、王妃との間に子が生まれなかったことも老論派に利用され、異母弟の延礽君(のちの英祖)を世弟に指名するよう圧力を受け続けた。

即位後も状況は改善せず、老論と少論は景宗を中心に激しい権力闘争を展開。延礽君を擁護する老論と、景宗を支える少論の対立は深刻化し、景宗は政治的な手腕を発揮する前に体調を崩してしまう。即位4年目の1724年、36歳の若さで死去。蟹醤と柿の“危険な食べ合わせ”が死因とされ、延礽君の薬茶の処方と合わせて“毒殺説”が庶民の間で語られるようになった。

景宗には2人の王妃がいたが、どちらとの間にも子は生まれず、側室も持たなかったため、後継者は延礽君(英祖)が継いだ。
わずか4年の治世で目立った業績は残せなかったものの、それは無能ゆえではなく、派閥争いと病弱な体、母の死のトラウマなど、過酷な環境に置かれたためだったと考えられる。

「景宗」についてもっと詳しくはこちらで紹介している。➡朝鮮王朝第20代王・景宗は、母の刑死を目撃した悲運の王

ドラマ「ヘチ」は、この景宗の複雑な背景を比較的史実に近い形で描いており、彼の人生を知ることで作品はより深く楽しめる。ドラマはBS日テレで月~金曜17時から2話連続で放送中だ。

【「ヘチ」を2倍楽しむ】では、時代背景や実在の人物紹介、キャストの魅力、その他各話のあらすじと見どころ、豆知識などまとめて紹介しているのでぜひ、視聴の参考にしてほしい。

原題:해치(ヘチ)

BS日テレ番組HP
 2025年11月28日17:59スタート 月-金17:00-18:58 2話連続放送

kandoratop【作品詳細】【「ヘチ」を2倍楽しむ】