その時 歴史が動いた全4話
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日露戦争の勝敗を分けた、日本連合艦隊とロシアバルチック艦隊の日本海海戦。連合艦隊司令長官・東郷平八郎は、1905年5月27日午後2時5分、敵前で150度ターンするという常識はずれの戦法で奇跡的な勝利を収めます。この「東郷ターン」は世界の海戦史に刻まれました。なぜ、連合艦隊は一か八かの危険な戦法に賭けたのか。東郷の指揮官としての苦悩や決断を通じて、大国ロシアに必死に立ち向かう日本の姿を描きます。
(C)NHK
幕末の風雲児、坂本龍馬。慶応2年(1866)、土佐藩を脱藩した一介の浪人でありながら、当時犬猿の仲だった薩摩と長州という二つの藩の間を奔走し、奇跡ともいえる「薩長同盟」を成立させました。この同盟で、時代は一気に倒幕・維新へと傾いたのです。それまで龍馬は努力と挫折を繰り返しました。当時の日記など、関係者の目撃談を徹底検証し、薩長同盟が結ばれた瞬間と、その時、龍馬が果たした役割を描きます。
(C)NHK
慶応3年(1867)11月15日、坂本龍馬が暗殺されます。黒幕は未だに不明で、幕末の大きなミステリーです。坂本龍馬暗殺の黒幕は薩摩藩、幕府、土佐藩など諸説あり、一緒に殺された中岡慎太郎との心中説まであるほどです。龍馬は誰に殺されたのか。なぜ、殺されなくてはならなかったのか。幕府の密偵の動き、薩摩藩の過激な行動・・・龍馬暗殺にまつわる史料を徹底的に洗い出すと、龍馬の思わぬ油断や、京都で多くの危険にさらされていた様子が浮かび上がります。運命の日を詳細に再現します。
(C)NHK
明治時代に、俳句・短歌を革新し、「写生文」を提唱して近代日本語の確立を試みた若き文学者がいました。23歳で結核に冒され、余命10年と自覚した正岡子規です。明治31年(1898)、子規は病床で、休刊の危機を迎えた俳句雑誌「ほととぎす」を引き継ぎ、新しい文芸誌「ホトトギス」を誕生させます。その雑誌で、風景を見たまま写しとる「写生文」を提唱し、死ぬ直前まで近代日本語の確立に向け格闘を続けました。江戸時代以来の日本語を生き生きとした近代日本語へと作り変えた正岡子規、日本語の革新に命をかけた不屈の挑戦のドラマを描きます。
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