「華政」最終回のその後と、ドラマ最後の治世の王、朝鮮第17代・孝宗(鳳林大君)紹介!予告動画

2016年09月15日11時45分ドラマ
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「華政(ファジョン)」は、朝鮮王朝第14代王・宣祖から光海君、仁祖、そして物語最後の治世の王、第17代王・孝宗で最終回の幕を閉じた!歴史に残るドラマのその後と、孝宗についてご紹介!本作はDVDも好評発売中で予告動画は作品公式サイトで公開している。また楽天ショウタイムでも配信中だ。

※以下、最終回のネタバレがあります。また、その他の王の紹介や時代背景、各話の詳しいあらすじと見どころなど場面写真と一緒に【「華政」を2倍楽しむ】でまとめている。

■ドラマ最終回おさらい
孝宗は、貞明公主たちの協力の下、宿敵キム・ジャジョムとカン・ジュソンを処刑。共に戦った貞明公主たちにそばで忠言してくれるよう頼むが、「自分たちは王が暴政を敷いたときにいつでも王と戦える敵でいたい」と貞明はこれを辞退。孝宗はこれを聞き入れ、残る親清勢力を除去して、清を討伐する「北伐計画」を胸に、輝く政治(華政)を目指す。

■鳳林大君(後の孝宗)紹介(1619年~1659年)
孝宗は仁祖と仁烈王后の間に生まれた次男で名前は淏(ホ)、鳳林大君。兄は昭顕世子。11歳で当時の右議政である張維(チャン・ユ)の娘と結婚。1636年丙子胡乱がおきると、妃嬪や王族、両班たちを率いて江華島に避難。翌年、三田渡講和が成立し、兄の昭顕世子と共に清での8年間の人質生活を送った。このあたりは「華政」で描かれた通りだ。
人質生活の間、孝宗は世子である兄を積極的に護り、清からの危険が及ぶ要求には世子の代わりに自分が名乗り出た。こうした孝宗の行動を「華政」59話では、昭顕世子の鳳林大君評として描かれている。鳳林大君は多くの戦闘に参加させられさまざまな苦労を強いられた。その結果、清に歩み寄り実利外交を主唱した世子と違って、鳳林は清を深く恨み反清思想を強めた。詳しくは清の人質時代が2王子の命運を分けた!で紹介。

華政■第17代王・孝宗誕生(在位期間:1649年5月~1659年5月)
「華政」では兄・昭顕世子が弟・鳳林大君に会って、世子となるのを直々に強く望んだとして描かれている。だが、歴史に残る大君は、世子の帰国から遅れること3か月、世子の訃報を聞いて急ぎ帰国。世子死後1か月後のこと。王室の慣例通りなら昭顕世子の長男・石鐵が世孫となるべきところを、仁祖は、鳳林大君の反清精神が自分の親明時代主義と一致するとして次男の鳳林を世子と決めた。こうした仁祖の決断もまた、昭顕世子暗殺を疑わせた。詳しくは清の人質時代が2王子の命運を分けた!で紹介。

■ドラマのその後と孝宗の功績
1649年5月、仁祖の死後、朝鮮第17代王となった孝宗(ヒョジョン)は、北伐論を打ち立て国力強化を目指した。ドラマにも登場した金自点(キム・ジャジョム)ら親清勢力を追放し、清と戦おうとする者たちを重用したが、軍備拡充のために王朝はたびたび財政的な問題にぶち当たった。時期が立つほどに清の力は強まる一方で、結局北伐計画は実行できないまま、孝宗は1659年5月、40歳で世を去った。だが、この北伐精神は根強く残った。ネタバレになるので詳しくは紹介できないが、第21代・英祖、22代・正祖治世を舞台にしたドラマ「ペク・ドンス」では、ある人物の背中に「北伐之計」という刺青を描かせている。

孝宗は国防強化と同時に経済面での安定や、文化面での発展にも努めた。
経済面では、光海君が京畿道に実施した大同法を忠清道と全羅道に拡大施行するなどして農民の負担を減らした。(大同法とは、従来の現物貢納を地税に一本化して、両班たちによる中間搾取をおさえ、国家財政の確保をはかった税法)ちなみに、これを全国にまで拡充したのはドラマ「トンイ」「張禧嬪-チャン・ヒビン」「テバク」の治世の王、粛宗。
一方、文化面では暦法の発展や『国朝宝鑑』を再編纂して政治の道を示し、『農家集成』などの勧農書を使って農業生産を伸ばそうとした。他にも、戦後の乱れた倫理秩序を正すために犯罪を防ぐ啓蒙書『警民編』などを刊行。

華政悲願の北伐は果たせなかったが、孝宗が確立した軍事力は朝鮮社会の安定のための基盤を作り、長男である第18代・顕宗に引き継いだ次代は、外国からの侵略が一切なく、内政的にも社会の安定を取り戻した比較的平和な時代だった。第19代の粛宗は顕宗の長男で、後継者争いが絶えない朝鮮王朝で2代にわたって慣例通りに嫡男・長男に王位が継承されたのは珍しい。【朝鮮王朝系図】で確認してみよう。第5代と6代も長男が続いているが、あちらはドラマ「王女の男」でも描かれたように骨肉の争いの真っただ中。

孝宗の執念じみた軍備拡充のために、臣下たちとの摩擦もあったが、孝宗はドラマ「華政」のラストに描かれたような「輝かしい政治」のために奮闘した王だった。
こうしたラストと貞明公主とホン・ジュウォンの引き際の良さで終らせた「華政」は、4代にわたって描かれたドロドロの政争ドラマを爽やかな作品に仕上げた。

もっと、実際の朝鮮王朝は平和な時代はすぐに終わり、粛宗の治世からは激しい党争の時代へと続く。これについては、【韓流コーナー[年表・系図]】「●ドラマで辿る韓国の歴史」朝鮮王朝①~⑤で朝鮮王朝の大まかな流れをまとめているので、参考にどうぞ。

kandoratop【作品詳細】【「華政」を2倍楽しむ】

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