【訃報】昭和の名優・高倉健死す…名作『幸せの黄色いハンカチ』をHuluにて配信中

11月19日衝撃的なニュースが走った!「高倉健、死去」次作準備中に体調を崩して入院、悪性リンパ腫のため10日(月)午前3時49分都内の病院で亡くなった。映画俳優として映画にこだわり続けた孤高の人・高倉健さんは多くのファンに愛された。Huluでは『幸せの黄色いハンカチ』を配信中。予告動画は無料視聴できる。
「自分、不器用ですから…」このセリフを聞いただけで高倉健を思い出す。これは1984年放送された日本生命のCMで高倉健が言ったセリフで、高倉健のイメージそのものを表しているようだ。多くの映画ファンのみならず、共演した俳優、監督、製作者たちに愛された高倉健が11月10日死去したことが発表された。
1931年生まれ、本名は小田剛一。福岡県出身で明治大学商学部への進学を機に上京。子どものころ米軍司令官の子どもと友だちになり、英語が得意になったという。その英語力はハリウッド映画『ブラック・レイン』(1989)、『ミスター・ベースボール』(1993)で披露された。
大学時代、友人の紹介で芸能プロダクションのマネージャーになる面接を受けたが、そこに居合わせた東映東京撮影所の所長、マキノ光雄に見いだされ、東映ニューフェイス第2期生として芸能界デビューした。
1963年に出演した『人生劇場 飛車角』以降、任侠映画を中心に出演。『日本侠客伝シリーズ』、『網走番外地』シリーズ、『昭和残侠伝シリーズ』などで人気を博した。出演映画は200本以上。昨年11月、高倉健が文化勲章を受賞した際に「(役の)ほとんどが前科者。そういう役が多かったのにこんな勲章をいただいて…一生懸命やっているとちゃんとみていてもらえるんだなと」と語ったのはこれらの任侠映画に数多く出演したことを言っている。
任侠映画以外では『鉄道員(ぽっぽや)』、『八甲田山』、『あなたへ』『南極物語』など代表作をあげたらキリがないぐらい、本当に多くの名作に出演し、私たち日本人の心に残る名優として名を馳せた俳優である。
遺作となったのは2012年公開された降旗康男監督『あなたへ』。亡くした妻から届いた手紙をきっかけに、一人の男が妻の生れ故郷へ旅するロードムービーである。
そんな高倉健が任侠ヤクザではない映画に出演し、爆発的ヒットとなったのが山田洋次監督『幸せの黄色いハンカチ』(1977)。原作は「ニューヨーク・ポスト」紙に連載されたピート・ハミルの『Going Home』をもとに、山田洋次が脚本を製作したロードムービーである。この映画に出演した当時の武田鉄矢はまだ無名だったが、本作で第1回日本アカデミー賞最優助演男優賞を受賞した。映画が公開されてはや37年経つが、『幸せの黄色いハンカチ』はいまだ人気が衰えることのない名作として、多くの人に愛されている。さらに2008年には、ハリウッドで『イエロー・ハンカチーフ』としてリメイクされた。
■あらすじ
失恋して自暴自棄になった鉄也(武田鉄矢)は務めていた工場を辞め、もらった退職金で真っ赤なファミリアを購入。フェリーに乗り網走へ行った。ナンパして仲良くなった朱美(桃井かおり)とドライブを始めた2人。海岸にやってきて、そこで2ショット写真を撮ろうと、そこにいた男に声をかけシャッターを押してもらった。その男は、網走刑務所から刑期を終えた島勇作(高倉健)。ひょんなことから鉄也、朱美、勇作の3人は一緒に旅をすることになった。しかし、勇作にはある隠された秘密があり…。
刑務所で刑期を終えた勇作が、妻が待つ家に帰るまでの話だが、勇作は妻はもう自分のことを待っていないと思い込んでいる。出所直前、勇作は妻に「もし待っていてくれるなら、黄色いハンカチをぶら下げておいてくれ」とハガキに書いて出した。妻は勇作を待っていてくれるのだろうか…。
本作は、第1回日本アカデミー賞の最優秀作品賞、最優秀監督賞(山田洋次)、最優秀脚本賞(山田洋次・朝間義隆)、最優秀主演男優賞(高倉健)、最優秀助演男優賞(武田鉄矢)、最優秀助演女優賞(桃井かおり)を受賞した。
■『幸せの黄色いハンカチ』(1977)
【監督・脚本】山田洋次
【脚本】朝間義隆
【音楽】佐藤勝
【出演】高倉健、武田鉄矢、桃井かおり、倍賞千恵子ほか
1時間48分
デジタルリマスター版『幸せの黄色いハンカチ』DVDならびにBlu-rayは松竹より発売されている。
⇒あの頃映画 幸福の黄色いハンカチ デジタルリマスター2010 [DVD]
名優・高倉健さんのご冥福をお祈りします。
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◇映画『幸せの黄色いハンカチ』劇場予告(YouTube)