「広開土太王」でイ・テゴンが演じたタムドクって?ドラマの時代背景とペ・ヨンジュン版との違いは?
いよいよ明日、10月4日からBS-TBSで放送する「広開土太王」!その時代背景と実在したタムドクの紹介、本作でイ・テゴンが演じたタムドクと「太王四神記」でペ・ヨンジュンが演じたタムドクとの違いをご紹介!Youtubeにて予告動画が公開されている。
「広開土太王」は、朝鮮半島史上、初めて大陸まで領土を広げた征服王である高句麗19代王となったタムドク(イ・テゴン)が、国内外の敵と戦いながらも太王と呼ばれるまでになった彼の半生と、彼が戦う本当の理由を探る物語。
※【「広開土太王」を2倍楽しむ】では各話の詳しいあらすじと見どころ・豆知識、半島の地図や時代背景などをまとめて紹介している。
画像:wikipediaより■高句麗大19代王・広開土太王(生374年~没413年)
韓国の偉大な歴史上の人物として必ず挙げられるのは高句麗の第19代王・広開土太王。三国時代に4世紀末から5世紀に始めにかけて、征服戦争で飛躍的に領土を拡大したので征服王とも呼ばれる。
こちらに半島の【歴代の地図】があるので比べてみよう。
国の平和と民の幸せを願う王と推測され、現在の平壌(ピョンヤン)に9つの寺を建立し仏教も広めたと伝わっている。
彼の息子である20代王・長寿王(チャンスワン)により広開土太王碑が建てられ、碑には、『国岡上広開土境平安好太王』(国は富強になり、民たちは平和に暮らし、五穀が豊かであった)と刻まれている。そこで、“大王”よりも一段高い“太王”と使われている。
ちなみに、広開土太王碑は現在の現在の中国・吉林省にあり、韓国。・ソウルに個人が私財を投じて建てたレプリカがある。
■時代背景
広開土太王が高句麗のどのあたりで在位した王なのかを、表ドラマの年表(神話~三国時代)でチェックしてみよう。タムドクは、391年に即位した。当時の中国華北は、16以上の分立興亡した民族と国家が入り混じった五胡十六国時代(304年~439年)だった。高句麗は、16代・故国原王が前燕の侵攻を受け、国力回復のために南の百済を攻めるも逆に戦死してしまった。次の17代・小獣林王は、国家体制の立て直しと中国との関係修復に注力し、前燕を倒した前秦と手を結び友好関係を築いた。そして第18代・故国壌王(イリョン王)の治世となりドラマの時代に入る。
一方、中国では前秦に敗れた前燕の将軍モ・ヨンス(慕容垂)が後燕を建て、自らが皇帝となって中原征服の野望を抱き高句麗征伐を決心したのだった。
■ソフトなペ・ヨンジュンVSハードなイ・テゴン
テサギこと「太王四神記」でペ・ヨンジュンが演じたタムドクは長男だったが、こちらは次男という設定。次男ということでタムドクは王室と高句麗の平和のために、王子のきらびやかな生活ではなく将軍の道を選び、遼東省の一介の将軍として生きていた。
「太王四神記」ではペ・ヨンジュンの少年時代と「仮面の王 イ・ソン」のユ・スンホが演じたが、本作は子役から始まらずに、全編通してイ・テゴンが演じる。熱く部下思いの将軍から、時には非情にもならねばならぬ偉大な王として成長していく。しかし、ペ・ヨンジュンが演じたタムドクや、「朱蒙」でソン・イルグクのチュモン王子のようなダメ王子からのスタートでない分、役柄としてメリハリがつけにくい。そうしたところを、本作の前までは知的な紳士を演じることの多かったイ・テゴンが、野太い声で毎回叫びまくって、骨太に見せていく。
「広開土王をなぜ“大王または“太王”をつけて呼んでいるのか。隣国から侵略が絶えなかった歴史を取り戻したい気持ちからだろうか…」こんな疑問から、彼の一生、彼が築き上げた強国高句麗を歴史を名優イ・テゴンがどう見せるのか?時代劇ファンにはたまらない一作!どうぞお見逃しなく。
◇BS-TBS「広開土太王」番組サイト
2018.10.04スタート 月~金13:00-13:55
◇Youtube「広開土太王」予告動画
【作品詳細】【「広開土太王」を2倍楽しむ】