【韓ドラコラム】「七日の王妃」端敬王后はなぜ廃位されたのか?悲しき「チマ岩」エピソード

2018年10月13日12時30分ドラマ

パク・ミニョン&ヨン・ウジン&イ・ドンゴンの切ない史劇ロマンス「七日の王妃」で、2人の王から愛され7日間だけ王妃の座に就いたのは、実在の端敬王后慎氏がモデル!今回は、歴史に残る慎氏に迫る!予告動画は公式サイトで公開している。U-NEXTでも全話配信中だ。
※歴史背景説明のために一部ネタバレをしています。

「七日の王妃」は、韓国KBSにて2017年に放送されたドラマ。朝鮮王朝史上、最大のクーデター“中宗反正(朴元宗の乱)”の前後を、史実に愛の三角関係と異母兄弟の骨肉の争いというフィクションを織り交ぜ、ダイナミックに描いた韓国のロイヤルラブロマンスドラマ。

【「七日の王妃」を2倍楽しむ】では、ドラマの時代背景や各話の詳しいあらすじと見どころ、キャストの魅力、豆知識などをまとめて紹介している。

七日の王妃■端敬王后(タンギョンワンフ)慎氏(1487年2月7日生-1557年12月27日没)
益昌府院君 信度公 慎守勤(世宗の四男、臨瀛大君の娘が母)と永嘉府夫人 権氏の娘で、李氏朝鮮第11代国王中宗の王妃。2人が結婚したのは中宗が即位する前、晋城大君時代。

反正(クーデター)で担がれて王位就いた中宗は、反正に成功した功臣たちが中宗の家を取り囲んだとき、燕山君が殺しに来たと勘違いして自害しようとした。その時、夫を落ち着かせ自害をとどまらせたのが妻・慎氏。いわば彼女のお陰で中宗は王位に就けたのだ。

ところが、彼女が廃位した暴君・燕山君の正妃・廃位慎氏の姪で、しかも父・慎守勤がクーデターで功臣たちを殺した「逆賊の家門だから王妃に冊封できない!」と功臣たちは王后慎氏の廃位を叫んだ。

七日のもともと夫婦仲はとてもよく王后慎氏の廃位については中宗は反対したが、何しろ担がれた王には力がなく、なんと王妃になって間もなく廃妃されてしまった。

そんな夫婦の悲しい生き別れは「チマ岩」の話で伝わっている。中宗は、妻に会いたくなると小高い場所から妻の実家のある方を眺めていた。それを知った慎氏は、家の裏山の岩の上に、自分がよく来ていたチマ(韓服のスカート)を広げておいたという。

2番目の王妃・章敬王后(チャンギョンワンフ)が仁宗を出産後に死去すると、一部の臣下から慎氏の復位運動がおこったが、朝廷の権力争いで立ち消えに。中宗との間に子供のいなかった慎氏は、中宗より13年も長生きして生涯独り身で70歳で世を去った。一方、中宗は、2人の王后と9人の後宮(側室)を娶り、9男11女を得た。21代王・英祖治世に端敬王后に追尊された。

結局2人は再会することはなかったが、『中宗実録』には、中宗崩御の間際にひとりの女性が密かに宮殿を訪れ「王が慎氏を呼び寄せた」という噂が宮中に広がったと記され、それが「王の回復を祈る尼だった」とも記されている。果たして慎氏が尼に変装して祈ったのだろうか?

■ドラマでは?
「七日の王妃」で女優パク・ミニョンが端敬王后を前半はキュートに、後半は切なく演じているが、第17話で中宗反正前夜にパク・ウォンジョン(朴元宗)が彼女の父シン・スグン(慎守勤)に「燕山君か大君」と問うシーンがある。それはもちろん「燕山君の正室である妹か、晋城大君の妻である娘か」の究極の選択だ。これに対して妹でも娘でもなく、「一度仕えた臣下は最後まで主君のために戦うべき」と考えてしまうシン・スグンの悲しい忠臣を俳優チャン・ヒョンソンが上手く演じている。

七日の王妃また、女優コ・ボギョルが演じたミョンヘ役は後の後の章敬王后だが、この名前は章敬王后が亡くなってから送られた名前(諡号)に入っている「明恵」に由来しているようだ。

「オクニョ 運命の女(ひと)」も同じ時代を描いた作品で、中宗の3番目の王妃・文定王后の参謀は三大悪女の1人 チョン・ナンジョン。

「サイムダン」<完全版>(第7話)で、子供たちがお隣さんに花を散らした餅を届けるシーンがある。この家の主人が端敬王后・慎氏なのだ。

「七日の王妃」
DVD-SET1 レンタルVol.1~8 リリース中
DVD-SET2 レンタルVol.9~16 8月2日(木)リリース
各19,000+税
U-NEXT にて独占先行配信開始
https://bit.ly/2t44ivE
発売・販売元:NBCユニバーサル・エンターテイメント
Licensed by KBS Media Ltd. (C)2017 KBS. All rights reserved

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