ヨ・ジング主演「王になった男」時代背景:朝鮮王朝中期は政争と戦乱の時代!
王の影武者となった男の、禁断の愛と数奇な運命の壮大な韓国史劇「王になった男」が10月13日(火)より、テレビ東京でいよいよ地上波放送されるが、ドラマの舞台となった時代背景をご紹介!作品公式サイトで予告動画が視聴できる。
※【「王になった男」を2倍楽しむ】には韓国での評判や、インタビュー、各話のあらすじなどまとめて紹介。
「王になった男」は、2012年にイ・ビョンホン主演で公開された大ヒットを記録した映画のドラマ版(日本では2013年に公開)。映画版は実在の王である朝鮮王朝第15代王・光海君を主人公にしており、ドラマ版も光海君統治時代を背景にしている。ドラマの舞台はいったいどんな時代だったのだろう?
■朝鮮王朝時代(1392年~1910年)
朝鮮王朝は高麗の武将・李成桂が1392年に高麗を倒して王位に就き、朝鮮王朝を誕生させ500年以上続いた。第4代王・世宗(写真:@navicon)建国当初から後継者問題で政争が起きたが、4代王・世宗の時代に内政・外交ともに安定した。
だが、世宗が死去すると朝廷内での新旧勢力の戦いと政変が繰り返され、中期には相次ぐ戦乱を経て16代王・仁祖が清に屈服する。
後期に入ると21代王・英祖と22代王・正祖の統治時代のルネッサンス期を経て党争は沈静化するが、外戚が実権を握ると政局は再び混迷し、国際情勢の激変について行けず、王朝末期には外圧に苦しめられ、日本の干渉に抗しきれずに国号を大韓帝国と改め、日韓併合条約が結ばれて、日本の領土に組み込まれてしまう。
※参考:【韓国歴史年表】/【朝鮮王朝系図】
■朝鮮王朝中期(15世紀後半~17世紀中頃)
王朝中期は、ここでは11代王・中宗~16代王・仁祖辺りまでとしてとらえて紹介する。
15代王・光海君(1575~1623年)が生きた時代は、まさに政争と戦乱に明け暮れた時代だった。
李舜臣将軍(写真:navicon)日本からは豊臣秀吉により1592年から2度(壬生倭乱・丁酉再乱/文禄・慶長の役、詳細はコチラ)にわたって攻撃を受ける。だが、政争に明け暮れる朝廷は無策。明からの救援軍や水軍の李舜臣(イ・スンシン)将軍、各地で起きた義兵、世子(王位後継者)だった光海君の活躍などでかろうじて持ちこたえた。
日本軍の撤退後は、さらに政争が激しくなるが、光海君が政争を制して15代王に即位。光海君は民政や外交でも成果を残し戦乱からの復興を果たした。だが、その一方で政敵への容赦ない粛清を行った。そのため、反対勢力が“崇明排清”と“廃母殺弟”を掲げて綾陽君(1595年生~1649年没)を推戴しクーデター(仁祖反正、1623年)を起こし、光海君は廃位された。
綾陽君は第16代・仁祖となったが、1年もたたずに臣下による反乱、李适の乱が起きた。そして外交政策にも失敗し、後金(清)から1627年と1636年に2度にわたる侵攻(丁卯胡乱、丙子胡乱)を受け、1637年清に降伏。その後も政争はつづき、清との関係にも苦しめられる。
■混沌とした時代だけど多士済々!
混乱の連続の中でも、李舜臣将軍といった国を助けた英雄や林巨正(イム・コッチョン)・張吉山(チャン・ギルサン)といった義賊、長今(チャングム)・許浚(ホ・ジュン)ら優れた医者、許筠(ホ・ギュン)・黄真伊(ファン・ジニ)といった才能豊かな文化人、そして「三大悪女」と呼ばれた美貌の鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)ら、歴史に名を残し、ドラマや映画で描かれる非凡な人物も多く輩出した、まさに多士済々(たしせいせい)の時代だった。
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光海君の統治時代を背景にした作品には「王の女」「ホジュン 宮廷医官への道」「ホジュン~伝説の心医」「王の顔」「華政」「火の女神ジョンイ」など実に多い。朝鮮王朝を舞台にしたドラマは【ドラマの年表】でまとめているのでチェックしてみよう。
【作品詳細】【「王になった男」を2倍楽しむ】
◇「王になった男」予告動画