「華政」のトラブルメーカー?屈辱の王・仁祖と朝鮮王朝中期を考える!予告動画

2016年08月22日19時00分ドラマ
©2015 MBC

現在、BSフジで放送中の「華政」は終盤に入り朝鮮王朝の危機を迎えている…こうした16世紀から17世紀にわたる王朝中期を舞台にしたドラマは、他にも、「不滅の李舜臣」「馬医」「推奴-チュノ-」「火の女神ジョンイ」「九家の書」、9月からはNHKで放送の「三銃士」など、日本でも人気だ!今回は、そんな朝鮮王朝中期と仁祖についてドラマと一緒にご紹介しよう!予告動画は公式サイトで視聴できる。

【「華政」を2倍楽しむ】には、朝鮮王朝中期の時代背景や、貞明公主、第15代王・光海君ら実在の人物の紹介と出来事、各話のあらすじと見どころなどをまとめて紹介しているので参考にどうぞ。

※以下、ドラマのネタバレではなく、正史をドラマに沿わせたコラムです。「華政」54話までのあらすじに関わる記述がありますので、気になる方は、視聴後にご覧ください。

■朝鮮王朝ってどんな王朝?
前王朝高麗の将軍・李成桂が高麗王朝を倒して1392年に建国し、1910年まで約500年以上も続いた王朝。李氏の王朝なので“李氏朝鮮”とも呼ぶ。儒教理念と親明政策によって国家の基礎を築いていった。
朝鮮王朝の区分についてナビコンでは、初代・太祖~10代王・燕山君(14世紀~15世紀まで)を前期、11代・中宗~19代・粛宗(16世紀~17世紀)までを中期、20代・景宗~27代・純宗(18世紀以降)までを後期としてとらえている。
【韓流コーナー】「年表」と「豆知識」では、各時代の解説や【朝鮮王朝系図】【ドラマの年表】などで、大まかな王朝の流や同じ時代のドラマを時系列に一覧しているので参考どうぞ。

fajyon■中期ってどんな時代?
朝鮮王朝中期は、政争と戦乱に明け暮れた時代。王朝は建国当初から熾烈な政権争いが起きていたが、そうした勢力を一掃し、士林派と呼ぶ知識集団が台頭。ところが学説の違いが政治的立場の違いにつながり、党派(派閥)を形成し朝廷内の主導権をとるために、政(まつりごと)をそっちのけで党争を繰り返した。こちらに党派の年表がある。
その隙をついたのが倭国(日本)と後金(後の清)だ。

fajyon■倭乱と仁祖反正
日本からは豊臣秀吉により1592年から2度(壬生倭乱・丁酉再乱/文禄・慶長の役)にわたって攻撃を受けるが、政争に明け暮れる朝廷は無策。水軍の李舜臣(イ・スンシン)将軍や、各地で起きた義兵、世子(王位後継者)だった光海君の活躍などでかろうじて持ちこたえた。(光海君については【「華政」を2倍楽しむ】(2)で詳しく紹介)
李将軍は「九家の書」にも登場しているが、「不滅の李舜臣」「王の顔」「華政」で詳しく描かれている。また、この時、王と重臣たちが王都を捨てて逃げ、民たちがこれに憤怒する様子などは「ホジュン」2作でもドラマチックに描かれている。
日本軍の撤退後は、さらに政争が激しくなるが、光海君が政争を制して15代王に即位。
光海君は民政や外交でも成果を残した。外交では日本と和議を結び、清(後金)とも友好関係を保っていた。その一方で政敵への容赦ない粛清を行った。そのため、反対勢力(西人&南人派)が“崇明排清”を掲げて綾陽君(1595年生~1649年没)を推戴しクーデター(仁祖反正、1623年)を起こし、光海君は廃位された。このあたりは、「王の女」でも詳しく描かれている。

fajyon■仁祖(1595年生~1649年没、在位1623年~1649年)
14代王・宣祖の五男・定遠君の長男。1615年弟の綾昌君を殺され、反正を計画し、1623年仁祖反正を決行、16代王となる。1年もたたずに臣下による反乱、李适の乱が起きた。(「華政」45話
この時朝鮮は、北方の国境を守る正規軍を乱を鎮めるために投入した。そして、光海君がバランスを取っていた明と清(後金)の二極外交から親明政策にしてしまったことで、清から1627年と1636年に2度にわたる侵攻を受けてしまった(丁卯胡乱、丙子胡乱)。
丁卯胡乱ではまたもや王都を捨てて逃げた仁祖だったが、丙子胡乱では最後の砦・南漢山城にて仁祖自ら47日間籠城、抵抗した。だが、必死の抵抗むなしく朝鮮軍は降伏(「華政」54話)。
1637年1月30日、仁祖は臣下と共に漢江のほとりの三田渡(サムジョンド)にある清軍の宿営地で、“三跪九叩頭の礼(さんききゅうこうとうのれい)”という屈辱の礼を取らされた。これは、跪いて三回頭を地につけることを3回繰り返す屈辱の礼で、「花たちの戦い~宮廷残酷史~」はこの三田渡の屈辱から始まる。

この時に出された降伏の条件は次の通り。
fajyon①明との関係を断つ
②明討伐の際の軍兵の派遣
③朝鮮王は清の皇帝に臣下の礼を尽くす
③朝貢を行う
④多額の賠償金を払う
⑤二人の王子(昭顕世子・鳳林大君)と嬪宮や臣下を人質に送る


清軍はこの条約以外にも、身代金目的で多くの女性を捕えていった。「華政」51話~52話では、妻や娘を取り戻すために高い金を払うシーンが描かれたが、実際にもこうしたことがあり、また、せっかく戻っても“還郷女(ファニャンニョ)”と呼ばれて純潔を守れなかったという理由で、家庭に受け入れてもらえなかったりした悲劇もあったそうだ。

華政■仁祖が引き起こした果てしない受難
ここでもう一度【ドラマの年表】を見てみよう。特に、仁祖の時代にはオレンジ色のドラマが多い。これは義賊や捕物ジャンルの作品。それだけ国がすさみ、民たちの暮らしは苦しかったということだ。
当時は、こうしたドラマにも描かれた大規模な盗賊団が実在し各地を荒らしまわった。
「推奴-チュノ」でも悲惨な民の暮らしを描いている。

仁祖は三田渡の屈辱の後、さらに反清を色濃くし、もはや滅びつつある明への事大路線を強化した結果、国土の荒廃と民を疲弊させ、朝鮮は果てしなき受難を受けることになってしまう。仁祖は、屈辱と苦しみの中で、1649年、在位24年目、54歳でこの世を去った。

朝鮮中期の悲劇は、政争を繰り返して政を後回しにしたツケと、当時の執権派閥だった西人派と仁祖が、国際情勢を読み取ることができなかったための結果と言えよう。

NHKで9月から始まる「三銃士」では、冒頭話で、もし「(清に人質に出された)ソヒョン(昭顕)世子が王になってたら…」とある人物が嘆くシーンがある。「推奴」にも登場するこの昭顕世子については「仁祖と世子」との関係に絡めて次回紹介するのでお楽しみに。

イ・ビョンフン監督の「馬医」は、仁祖の時代から王朝の後期へとバトンタッチする時代を背景にしている。

果たして、「華政」では、どんな形で仁祖の時代を終わらせるのか?放送はBSフジにて。

kandoratop【作品詳細】【「華政」を2倍楽しむ】

BSフジ「華政」番組公式サイト
 2016.05.26スタート 月~金14:59-15:59 無料BS初放送
「華政[ファジョン]」DVD公式サイト