【韓ドラコラム】善政を敷いて太平の世を築いた成宗(朝鮮王)はドラマではどう描かれている?

2021年12月18日20時00分 
(2023年08月25日23時30分 更新)
ドラマ
「景福宮」撮影:@navicon

朝鮮王朝第9代王の成宗(ソンジョン)は王位からほど遠い位置に産まれたが、思いがけず13歳で王位に就き、その後、善政を敷いた名君!今回は成宗とドラマでどう描かれているのかをご紹介しよう!各作品の太文字タイトルから予告動画など視聴できる。



■成宗、早世した兄に代わって即位⇒参【朝鮮王朝系図】
※生没:1457~1494、在位期間:25年1か月(1469.11~1494.12)
世祖第7代王・世祖の長男・懿敬世子(フィギョンセジャ)の次男で母は昭恵王后(ソヘワンフ)/仁粋大妃韓氏(インステビハンシ)。本名は娎(ヒョル)。
先代の睿宗(イェジョン)が14か月の在位で急死し、その子が3歳だったために、睿宗の兄である亡き懿敬世子の長男・月山大君(ウォルサンテグン)が即位するはずだったが、病弱と言う理由で、13歳の次男・成宗が王の座に就いた。しかし、月山大君の「病弱」は口実で、韓明澮(ハン・ミョンフェ)と貞熹王后尹氏(チョンヒワンフユンシ)による策。幼い成宗を王にすることでこれまで通りに垂簾聴政(スリョンチョンジョン)と王の権限を宰相も行使できる院相制(ウォンサンジェ)で政事を行うことが目的。また、成宗の妻が韓明澮の次女(恭恵王后韓氏(コンヘワンフ))だったことも一因となった。
だが、成宗が成年になると自ら政事を行う親政をはじめ、院相制を廃止した。そして権臣をけん制するために、若い士林勢力を大勢起用し三司に配置し、王道政治の実現を目指した。さらに仏教を制圧し儒教思想を定着させ、開国以来、もっとも安定、平和な世を築き37歳で逝去。

■やりすぎて自分の首を絞めた?
「南大門」@navicon「南大門」撮影:@navicon世宗の手腕によって築いた太平の世は、やがて頽廃的な風潮を生み、治世の後半になると成宗自身も遊興におぼれ、王妃が王の顔に引っかき傷を作るという事件が起きて廃妃事件につながる。これが次の燕山君時代になって政争の火種となってしまう。
また、三司(サンサ)とは各行政機関をけん制する司諫院、司憲府、弘文館の3つの機関の総称で、全高官を厳しく取り締まった。だが、その攻撃は容赦なく、感情に走ったり、枝葉に過ぎない問題まで行われ、不満が爆発する。ついには世宗自身も不満を表す状態にまで至った。

■ドラマで描かれる成宗⇒参【ドラマの年表】
太祖(テジョ)以来築き上げてきた朝鮮王朝体制を安定させ、最も平和な世を作り出し、学問、経済、文化を発展させた名君でありながら、ドラマで描かれるのは女性問題や、燕山君の苦悩の原因としてクローズアップされることが多い。イ・ジヌが演じた「王と妃」(1998年)と、コ・ジュウォンが演じた「王と私」(2007)では、燕山君を生んだ王妃を寵愛したが、母・仁粋大妃に逆らい切れず、ついに処刑を命じる成宗が描かれている。「逆賊-民の英雄ホン・ギルドン-」9話では、成宗の臨終の言葉「孔孟が説く道のみ歩め」を思い出し、いまだに2000年も前の孔子や孟子の教えに倣おうとする臣下たちに嫌気がさす燕山君をキム・ジソクが演じている。また、2021年Netflixより世界配信されている「恋慕」(パク・ウンビン×ロウン/SF9)に関連するサイトでは、睿宗~成宗の時代が背景と紹介しているが、これについては【「恋慕」を2倍楽しむ】で詳しく触れていく。

Youtube「王と私」予告動画
Youtube「王と私」予告動画
Youtube「逆賊‐民の英雄ホン・ギルドン‐」予告動画

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