「新羅王国」豆知識

特集 韓ドラここが知りたい ドラマで知る歴史
新羅時代の文化や風習など、[韓ドラここが知りたい!]の各ページで補足したい事柄を箇条書きで解説しています。※随時更新します。

【三国史記】
『三国史記』(さんごくしき)は、高麗17代仁宗の命を受けて金富軾が撰した、三国時代(新羅・高句麗・百済)から統一新羅末期までを対象とする紀伝体の歴史書。朝鮮半島に現存する最古の歴史書。

【花郎(ファラン)】
<青年貴族集団>
軍事的リーダーであり、祭祀(宗教的儀礼・儀式)や芸能的な分野も網羅した青年組織。徹底的な思想教育が行われ、軍事と文化の両面でエリート育成を目指した。具体的には「王への忠誠心、親孝行、友情、戦では絶対に退却するな」など。雅楽や芸術に勤しみ、軍事訓練や狩猟などを通して体を鍛えた。
12世紀に編纂された史書「三国史記」によれば、第24代・真興王が創設したと伝えられている。家柄、容姿、文武ともに際立った若者たちだけがなれる超エリート集団。ドラマ「善徳女王」「薯童謠(ソドンヨ)」のサテッキルも花郎。花郎たちの成長を描いたドラマに「花郎<ファラン>」がある。

<郎粧決意(ナンジャンキョリ)>
郎粧とは、花郎たちの白塗りに歌舞伎の隈取(くまどり)のような化粧のことで、死をも辞さない決意を表明すること。

<源花(ウォンファ/ウォナ)>
花郎の前身で、数百人の若い男性を取り仕切る女主人。母系社会の風習が色濃く残っていた新羅は、政治と宗教が密着していた。 “源花”は集団のリーダーであると同時に祭主(巫女?)であり医女でもあった。旧盆の時には新羅の首都“徐羅伐”に女たちが集まって組を分けて機織の賭けをしたが、源花はその村祭のリーダー的存在だった。そのような村祭が国家的行事に地位を取られ、規模も拡大されてき、やがて形を変え、美しい女子を選んで“源花”としその元に男子が集まるという形になった。その後“源花”同士の南毛(ナムモ)と俊貞(チュンジョン)との間でトラブルが頻発し、源花はなくなり、女性の変わりに顔の美しい青少年で性行の正しい男子を選んで団長とし、名前を「花郎」とした。
南毛と俊貞のトラブルについては、所説あるが、『三国史記』新羅本紀真興王三十七年の花郎の記事によると、「初めての源花となった俊貞と南毛は互いに美貌を争って嫉妬し合う。俊貞が南毛を自分の家に誘ってむりに酒を勧めて酔わせ、彼女を河水の中に投じて殺してしまう。俊貞は死刑にされ源花は解散となり、その後、美貌の男子を集めて花郎を作った」とある。
※ドラマ「善徳女王」では、真興王が、ミシルを寵愛して彼女を源花にしたと、している。

【璽主(セジュ)】
王の印を司る要職。

【聖骨・真骨】
・聖骨(両親共に王族)
・真骨(両親のいずれかが王族)

【骨品制】
血統に基づいた身分制度。貴族を序列化、固定化することで、王権による支配の安定と永続とを図ろうとした制度。
五段階に身分を区別し、特に王族に属する者を最上位に置いて真骨(ジンゴル)と呼び(中でも父母共に王族に属する者を特別に聖骨(ソンゴル)と呼んだ)、以下、六頭品、五頭品、四頭品、平民と下る序列を行った。実際に、国の要職につけるのは、王族の真骨だけで、貴族の最高位の六頭品も、要職にはつけなかった。
・王族:真骨/聖骨(5つの等級に区分)
・貴族:六頭品(4つの等級に区分)
・貴族:五頭品(2つの等級に区分)
・貴族:四頭品 (6つの等級に区分)
・平民
この下に、奴婢が存在した。

【シャーマニズム】
シャーマンとは、神霊・祖霊などと直接に接触・交渉し、卜占(ぼくせん)・予言・治病などを行う呪術・宗教的職能者で巫師を意味する言葉。古代韓国では、政(まつりごと)もこのシャーマンの言葉で取り仕切られた。このような考えをシャーマニズムとしている。「善徳女王」のトンマンにもこの様なシャーマン的な力があったと伝えられており、あの「朱蒙」や「太王四神記」でも、巫女のような格好をしたシャーマンを、ときには王よりも強い発言力を持つ人物として描いている。仏教と儒教が受容されたため、次第に衰えたといわれているが、シャーマニズムはその後も半島で補完的な宗教として機能しているといわれている。

【格物】
格物致知(かくぶつちち)と言う中国の哲学用語からの言葉。“格”をどう捉えるかによってさまざまな解釈がなされているが、歴史ドラマを楽しむため、次のような意味として理解されたい。格物とは、物の本質や道理をきわめること、致知とは、自分の知識を極限まで追い求めること。つまり、格物とは、当時の人々が知り得ない、現在でいうところの天文学・科学・数学・工学などあらゆる知識を指す。

【大明暦】
中国暦の一つで、劉宋・南斉の祖沖之(そちゅうし)によって編纂された太陰太陽暦の暦法。劉宋の大明六年(462年)に完成し、その死後、梁朝によって官暦に採用され、梁の天監九年(510年)から陳の末年、禎明三年(589年)までの80年間、使用された。(Wikipediaより)
しかし、NHKライブラリーに興味深い記述を見た。(由来恒雄氏による「ガラスと文化 その東西交流」より)
★朝鮮時代の三国時代(4~7世紀中頃)の新羅の古墳を発掘すると、どの古墳からも、きまってローマン・グラスが出土しています。それに対して、高句麗・百済の古墳からは、今日までのところ、どの古墳からも、一点のローマン・グラスも出土していません。ローマン・グラスだけではありません。
新羅古墳から出土する遺物の内容は、高句麗・百済古墳出土の遺物とは、根本的にその位相を異にしています。出土遺物ばかりではありません。古墳の構築法も、新羅古墳と高句麗古墳の構築法との間には、何の関連性もなく、まったく共通性をもっていないのです。 ★
さらに、国家の重要行事である祭祀日付が中国や日本の干支式でなく、ローマ暦を使っていたとも言われている。

【瞻星台(チョムソンデ)】
新羅27代善徳女王(632~646)の残した、東洋で一番旧い天文台。現在も慶尚北道慶州市仁旺洞「古墳公園」の裏手に現存している。(慶尚北道の位置を現在の半島地図で確認してみよう。

【燃灯祝祭】
仏を供養する方法のうちのひとつで、新羅時代(866)から今も続く風習。仏教信者だけでなく韓国の人々が一緒になって楽しみ、平和を願う伝統的な祭り。現在は、毎年釈迦誕生日(陰暦4月8日)前の週末に行われる。願い事を書いた紙を焼いたり、提灯に願い事を書いていっせいに空に飛ばす希望の灯飛翔式といったイベントがある。

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