「輝くか、狂うか」最終回考:高麗4代王・光宗は光輝く皇帝か?狂った皇帝か?偉業と後世の評価…予告動画
不運の運命を背負って生まれた高麗の皇子(チャン・ヒョク)と渤海王国最後の王女(オ・ヨンソ)との運命の恋を描いたドラマ「輝くか、狂うか」は、高麗王朝第4代王・光宗をモデルにした史劇ロマンス!今回は、光宗の偉業とドラマの最終回の後がどうなったのかについて、正史に近い大河ドラマ「光宗大王」と共に考えたい!それぞれ公式サイトで予告動画が視聴できる。
尚、両作品の各話のあらすじと見どころについては、それぞれ以下のページで詳しく紹介。
【「輝くか、狂うか」を2倍楽しむ】
【「光宗大王」を2倍楽しむ】
■光宗即位(在位:949- 975)
中国・唐の力を借りて高句麗、百済を滅ぼした新羅は676年に半島を統一したが、その後、旧高句麗領民の支持を集めて国力を強め、新羅、後百済を滅ぼした王建によって918年、朝鮮半島を再び統一して高麗王朝を建国。国内安定のために、豪族の娘と次々と結婚したり、位を与えたりしたが、これが豪族をのさばらせ王権を弱くした。次の王、恵王も、定宗も数年で王位を追われ、高麗は早くもピンチ。そんな中即位したのが第4代王・光宗大王。(参:「光宗大王」第49話)
■光宗の3大偉業
光宗は弱体した王権を強化して統治機構の整備を行うため、次のような3つの方法を考えた。
①956年「奴婢按検法」公布
当時、豪族たちは、所有する奴婢の男と良民の女の結婚を強要して妻子を奴婢にして自分たちの財産=奴婢を増やしていた。奴婢は納税の義務がなく、農民の数も減って王朝は財政力も国防力も弱っていた。そこで光宗は無理矢理奴婢にさせられた者を解放する「奴婢按検法」を公布し、これに対応した。(参:「光宗大王」第68話)
②958年「科挙制度」宣布
科挙の試験に受かれば、平民でも官職に就けるという画期的な改革。科挙は6世紀末の中国・隋に始まった人材登用試験制度の事。科目別に選抜(選挙)することから科挙と呼ぶ。光宗は、君主に対する忠誠心を本文とする儒教思想を持った人材を起用することで、王の支配を全国に行き届かせようと狙った。(参:「光宗大王」第75話)
※科挙制度の定着によって高麗は、官僚国家として発展していったが、官僚の地位も世襲化し、門閥が形成され、権力争いが起こるようになった。
③960年「百官公服」制定
官僚制度の整備を目的として、官僚の等級に従って官僚が着る官服の色を定めた。(参:「光宗大王」第85話)
※「イ・サン」など朝鮮王朝時代でおなじみの官僚たちの赤、青、緑など色別された官服の色は、これに倣っている。官服の色については【朝鮮王朝豆知識】の「◆官職の品階・◆官職の公服」で詳しく解説している。
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この様な大胆な改革で名君と呼ばれた光宗は、どんな素晴らしい改革も民心を得られなければ無意味だとして、仏教を通して民心の安定に力を注ぎ、貧困層のために救済所を作ったりして、光輝く名君と言われた。だが、その反面、在位の後半には敵対すると思われる豪族や親族を徹底的に排除したため、狂った皇帝との批判もあった。
「輝くか、狂うか」の最終回、光宗の剣に血塗られていたが、これこそが「狂った皇帝」を示唆する演出。「光宗大王」でも、終盤では暴言を吐いたり、王の暴言を非難した忠臣の首を刎ねたりと暴君と化した光宗の姿も描かれている。
■おまけ:光宗の恋
「輝くか、狂うか」では、青梅商団のシンユル(オ・ヨンソ扮)と恋に落ち、多くのヒントをもらう光宗(チャン・ヒョク扮)だが、「光宗大王」で王(キム・サンジュン扮)が心を通わせるのは、妓房の主人チョ・ソン(イム・チェウォン)。租税改革に乗り出した光宗がお忍びで出かけた先で知り合う(「光宗大王」第54話)。
◇「輝くか、狂うか」DVD公式サイト
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【作品詳細】【「輝くか、狂うか」を2倍楽しむ】
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