新ドラマ「恋人」の時代背景、丙子の乱って?朝鮮と清(後金)の関係を時系列で紹介
ナムグン・ミンが10年ぶりに時代劇に主演したMBC新金土ドラマ「恋人」が8月4日からスタートした。ドラマのテーマとされている「丙子の乱」とは何なのか?なぜ起きたのか?ドラマにあわせて時系列に紹介しよう。ドラマ予告動画はYouTubeにて公開中だ。
韓国ドラマ「恋人」は、丙子の乱の兵火の最中に繰り広げられる恋人たちの物語と、苦しみの中で希望を見出す人々の物語を描く本格ヒューマン時代劇。
朝鮮はなぜ後金に狙われた理由や実在の崔鳴吉と金尚憲の紹介はこちら⇒「恋人」朝鮮が清(後金)に狙われたワケ!
■丙子の乱とは?
丙子(へいし)の乱とは、1636年から1637年にかけて、清(後金)が朝鮮に侵略し、制圧して服属させた戦争だ。その結果、清に制圧された朝鮮は清に服属させられることになる。
※「恋人」の第1話本編はまさにこの年、1636年の春から始まる。
■丙子の乱はこうして起きた!
丙子の乱はなぜ起きたのか?当時の朝鮮と清の関係を時系列で紹介しよう。(※以下、ドラマの進行にあわせて対応する各話を追記していく。)
・1623年3月13日:15代王・光海君を擁する大北の政権に不満を持つ派閥(西人)が、光海君の甥綾陽君を推戴して光海君を追放。綾陽が即位し16代王・仁祖となる。
(これまで大北派は明と後金(後の清)との二極外交を進めてきたが、西人派は、“オランケ”と蔑称で呼ぶ女真族の建てた後金を野蛮な国と見下し、すでに衰退していた明を未だに“大国”と呼び、親明排金(明と親しくして後金とは距離を置く外交)に進む。)
・1624年1月17日:臣下の李适(イ・グァル)による反乱、李适の乱が起きる。仁祖は都(漢城)を捨て避難し、「国を捨てた王」として民心が離れる。
・1624年2月15日:李适が配下の者に殺され、辛うじて乱は平定される。
(乱を平定で最精鋭部隊を使ったために、女真族の侵略に耐える国力を失くす。)
・1627年1月13日:後金軍が鴨緑江(アムノッカン)を超えて朝鮮に侵入する。「丁卯胡乱」(チョンミョホラン)。
・1627年4月1日:仁祖、後金からの和議の申し入れを受諾する。
・1636年2月16日:仁祖、後金から国号を清と改め、ホンタイジが皇帝に即位し、太宗となる旨を伝えられる。
(第1話でヨンジュが、儒生たちの前で怒りの声を挙げたのがまさにこのこと。)
・1636年2月21日:仁祖、司憲府の洪翼漢(ホン・イガン)らの献言を受け入れ、太宗の皇帝即位を認めない旨を伝える。
・1636年12月8日:清軍が鴨緑江を超えて朝鮮に侵入する。「丙子胡乱」(ピョンジャホラン)。
・1636年12月14日:仁祖、昭顕世子(ソヒョンセジャ)と最後の砦・南漢山城(ナムハンサンソン)にて47日間籠城する。
(人事を担当する吏曹(イジョ)大臣・崔鳴吉(チェ・ミンギョル)は清との和平交渉を献言し、儀礼と外交をつかさどる礼曹(イエジョ)大臣・金尚憲(キム・サンホン)は清に徹底抗戦すべきだと訴え、朝廷は紛糾する。この47日間を描いたのが、イ・ビョンホンとキム・ユンソクが主演を務め、坂本龍一が音楽を手掛けたことでも有名な映画『天命の城』だ。)
・1637年1月22日:清軍によって江華島(カンファド)が陥落する。
・1637年1月30日:仁祖、清に降伏して漢江のほとりの三田渡(サムジョンド)の清軍宿営地で、三跪九叩頭の礼(さんききゅうこうとうのれい=サムグェクゴトゥレ)という屈辱の礼を取らされる。
『天命の城』のほか、この辺りを描いた作品に『神弓-KAMIYUMI-』やドラマ「推奴-チュノ-」、「華政」がある。【「華政」を2ば楽しむ】の「時代背景・実在の人物紹介」では関連記事を多数紹介しているので参考にされたい。
※同時代のドラマ:ドラマの年表:朝鮮王朝時代
※【「恋人」を2倍楽しむ】では、ドラマの時代背景や実在人物、各話のネタバレあらすじと見どころ、豆知識など紹介している。
MBCの新しい金土ドラマ「恋人」は8月4日より毎週金・土曜夜9時50分より放送される。
◇MBCドラマページ(韓国)
◇YouTube「恋人」第3次予告動画
【作品詳細】【「恋人」を2倍楽しむ】