「薯童謠 ソドンヨ」最終回のその後は?チャンとソンファの息子“義慈王”は名君か暴君か?

04月04日18時00分ドラマ
©SBS

本日(4日)BS日テレで放送した「薯童謠-ソドンヨ-」最終回の後はどうなるのか?今回は、最終回に出てきた王子の紹介とその後の百済を紹介する。YouTubeにて第1話の無料配信をしている。

善花編①ヒロイン、ソンファ目線でドラマを振り返る

善花編②百済の武王と結婚した新羅の善花公主は実在した?

チョ・ヒョンジェが演じた武王は実在の百済の王



「薯童謠-ソドンヨ-(以下、薯童謠)」は、古くから伝わる説話をモチーフに、百済の王子、のちの武王(チョ・ヒョンジェ扮)の波乱の人生と、敵国である新羅の姫・善花公主(イ・ボヨン扮)との運命の恋描いた歴史ロマン大作。【「薯童謠」を2倍楽しむ】では時代背景やキャスト・実在人物の紹介、各話のあらすじと見どころをまとめている。

■ドラマのその後、チャンはどうなった?王子は?
薯童謠©SBSドラマ最終回前話でやっと長い恋を実らせた百済第30代王の武王(チャン)と新羅の真平王の娘・善花(ソンファ)最終回で王子も誕生している。

そして最終回で、義父に当たる新羅の真平王が「婚姻同盟」を破って百済に戦争を仕掛けてき来たために、武王自らが兵を率いて10年もの長きにわたってチャンは勝ち続け、多くの新羅領土を占拠した。ドラマは、最愛の妻の死を迎えて終わっているが、実在した武王は新羅を追い詰めていった中で、641年に亡くなった。そしてその後を息子である王子が即位した。ドラマの中では名前は紹介されていないようだが、武王の嫡男の名は義慈(ウィジャ)。



■義慈王(599年生 - 660年没)【百済王朝系図】
百済の第31代王で実名は扶余義慈(プヨ・ウィジャ)。百済の最後の王(在位:641年 - 660年)のために、諡号(死後につけられる名前)はなく実名のまま義慈王と呼ばれている。
父は武王、母は善花。しかし善花公主は実在人物でないという見方が多く、母は百済貴族出身の沙宅王后という説もある(ソンファ紹介で)。幼い頃から父母を非常に敬って、兄弟と親しく過ごし臣民から慕われ「海東曽子(※)」とも呼ばれた。

※海東曽子(ヘドンジュンジャ):海東は朝鮮、曽子は孔子の弟子で孝心の厚さで有名。

641年に武王が亡くなったために即位。翌年正月に母が亡くなると、弟や貴族たち40人以上を百済から追放し、権力を王に集中させた。外交面では王子2人(豊(扶余豊璋)、勇(百済王善光)を人質として倭(日本)に送り、倭との同盟を強化した。高句麗と共同して新羅への進出を本格化していく。642年には新羅の支配下にある伽耶諸国へと侵攻し、新羅の拠点の大耶城を陥落する。655年には悲願の漢江流域の拠点も新羅から奪還し、王権が強くなる。ところが在位14~15年経たころから貴族たちが反発。657年には、41人の庶子を要職につけて貴族たちの政治的役割をいっそう縮小していった。

一方、百済に圧迫された新羅は、660年に唐・新羅同盟を成立させる。唐・新羅連合に王都・泗ヒ城まで攻め込まれ、義慈王は降伏して百済は滅亡した。滅亡後、義慈王は唐に連行され、その数日後に急死してしまった。



■義慈王は放蕩、好色君主なのか?
『三国史記』によると、義慈王は「宮女と酒色に溺れて心ゆくまで楽しみ、酒を飲むことに際限がなかった」と、百済の滅亡を義慈王に押し付けている。しかし、中国の史書『新唐書』には、唐の人々は義慈王を「海東曽子」と讃えており、また歴史書は戦争に勝った側の視点なので真相は分からない。とはいえ王国を滅亡に追いやった責任は免れない。

しかし、最近の研究成果では、義慈王が享楽にはまって百済を滅亡させたというより、連合軍を相手にするには力が及ばなかったと解釈している。新羅が唐に助けを求めるほど強かった百済を率いた王であり、慈愛に満ちた気性だったことが、新たに分かっている。

「薯童謠」ファンとしてはチャンとソンファの子が享楽にふける王でないことを願う。

【階伯(ケベク)】(全36話)ドラマ紹介■義慈王が登場するドラマは?
BS日テレでは「薯童謠」の後、4月5日から「イ・サン」を放送するが、主人公の正祖を演じたイ・ソジン主演の「階伯〔ケべク〕」では、シン・ウンジョンが善花役を演じている。

【「階伯〔ケべク〕」を2倍楽しむ】【「イ・サン」を2倍楽しむ】では、それぞれ尾時代背景や実在人物、ドラマのネタバレあり/なしのあらすじと見どころ、豆知識があるので視聴の参考にどうぞ。

BS日テレ「薯童謠」番組サイト
 2024年2月13日-4月4日 月~金17:00-18:58(全74話版)2話連続放送

YouTube第1話無料配信中

kandoratop【作品詳細】【「薯童謠」を2倍楽しむ】