快挙、オスカー最終候補!映画『おくりびと』が世界に受け入れられる理由とは!?

2009年01月23日16時39分映画

日本時間2月23日に米・LAでの授賞式を控えるアカデミー賞・外国語映画賞の最終候補へ滝田洋二郎監督の映画『おくりびと』が選出!昨年、モントリオール世界映画祭でグランプリを獲得するなど、映画『おくりびと』はなぜ世界に受け入れられるのか?その理由を探ってみた。それは日本映画ならではの“サムシング”にあるような気がするのだ。

■日本映画ならではの静かな心理描写

映画『おくりびと』に漂う空気。それは、ひたすらに静謐だ。丹念緻密に描かれる登場人物の背景、そして心理。それらは観客の感情に静かに寄り添う。またさりげないながらも文学の香り漂うセリフの数々も格調高く、じんわりと心に染みてくる。ああ、コレだ!と思わず膝を打つ。日本映画に魅力とはこうじゃなかったのかと。昨今、アメリカ映画を模倣したような作品が鼻につく中、『おくりびと』はそうじゃない。ハリウッド的な人物よりもハプニングでうねりを生み出すお約束事ドラマとは無縁だ。だからこそ一種の欧米スタイル的もたれかかりが皆無で、そこには極めてオリジナルな世界観があり、世界の映画批評家はそこにこそ積極的な評価を与えたのではないかと考えられる。そう、映画『おくりびと』は作品として自立している。

■日本映画ならではの生死観

指摘するまでもないことなのかもしれないが、日本人の持つ生死観は、キリスト教的な信念がもたらす生死感とは異なる。日本人特有のいわば“無常観”。映画『おくりびと』の中にもあるように、死を見送り、魂の行先を見つめる。死を前提として生をみつめる生死観がそこにある。本木雅弘演じる納棺士の仕事を解説するセリフを要約すれば、「出発のお手伝い」となるが、それは断じてパーティー・ジョークなどではない。死は魂の開放にして、出発。浄土真宗中興の祖、蓮如も「この世の始中終、幻の如くなる一期なり」と言葉を残している。映画『おくりびと』に見出される生死観の美しさはそこだ。ここに、散見する東洋的思想の神秘、うつくしさは我々日本人こそ積極的に誉めそやすべきなのではなかろうか。

映画『おくりびと』が持つ日本映画ならではの“サムシング”。見出す限り枚挙に暇ないが、主に大きな魅力となっているのは、上記の二点なのではないか。当たり前のことだが、アメリカ映画にはアメリカ映画の魅力があり、フランス映画にはフランス映画の魅力がある。すれば、この映画『おくりびと』、日本映画の魅力を代表している。木下映画、小津映画がそうであったように。映画の世界観において、グローバル化は無意味だ。それぞれの国の文化、価値観を前提としたインディビジュアルなものであってこそ、強い普遍性があるのだ。そういえばオスカー・ノミネートを受けて発表された主演・本木雅弘のFAXコメントも映画の世界観を代表する印象的なものだった。「作品も生き物で、人間同様、多くの皆さんに愛された結果、大きく成長できたのだと思います」

2月23日、アカデミー賞・外国語映画賞のプレゼンターはどの作品を口にするのだろうか。“Oscar goes to...”の先に「Departures(おくりびとの英題)」が口にされることを願いたい。下記に公式サイトのリンクを添えたい。映画予告編映像とともに最新ニュースをチェックできる。

映画「おくりびと」公式サイト