米櫃で無念の死を遂げた悲劇のお世継ぎ“思悼世子”ってどんな人物?「ペク・ドンス」キャスト紹介:オ・マンソクと予告動画

2012年10月04日15時00分ドラマ
(c)SBS

BSジャパンで放送中のチ・チャンウクとユン・スンユの「ペク・ドンス」も次回は第7、8話の放送となり、そろそろ役者も勢ぞろい!今回は、武人たちが命を懸けて守ろうとした、実在の世子「思悼世子」と演じたオ・マンソクについて紹介しよう!その他のキャストについては【「ペク・ドンス」を2倍楽しむ】で紹介、予告動画は作品サイトで視聴できる。思悼世子の父、英祖と息子サンについてはこちらで詳しく紹介。⇒(4)登場人物とキャストの紹介(「イ・サン」を2倍楽しむより)

■思悼世子って?(1735‐1762年)
「イ・サン」でおなじみの英祖王の次男で映嬪・李氏が生母。異母兄の孝章世子は夭折、遅く出来た子で1歳で世子に。朝廷で勢力を持つ老論派と対立し、謀反の罪をきせられるが、側近で剣の師でもあったペク・サグェンが身代わりとなって殉死。北伐の夢を抱く世子は、護衛隊を設立し、行方のわからなくなっていた「北伐之計」を探しだそうとしていた。“北伐の夢”とは、英祖王の時代から100年前…ドラマでいうと「推奴-チュノ‐」の時代、朝鮮王朝は事実上、清国の支配下という弱い立場にあった。朝鮮王朝第17代王・孝宗は、先王が清国から屈辱を味わった事が許せず、清国と戦えるだけの軍事力を高め、清国討伐の攻略法なる「北伐之計」をひそかにつくっていた。(同じ時代を背景にしたドラマはこちらでチェック⇒ドラマの年表(朝鮮王朝編)

思悼世子は、父の英祖や息子のサン(正祖)と同じく実在の人物。しかし2人に比べ、思悼世子の記録はとても少ない。これは、無念の死を遂げた思悼世子の悪意に満ちた記録を全て消し去るために、サンが即位して「洗草」と言う儀式で記録を全て消し去ったため。これについては、ドラマ「イ・サン」第43話で描かれている。

思悼世子が生まれたのは、英祖11年(1735年)1月21日のこと。この時英祖はすでに42歳。7年前に長男の孝章世子(ヒョジョセジャ)を10歳で亡くしており、英祖は大喜びでこの子をソン(愃)と名付け後継者(世子)にした。英祖には他にも6人の妻から9人の子供を授かったが、そのうち7人が娘で、待望の息子の誕生だった。

英祖はソンに、武芸、兵法、学術の全てを教育し、ソンもまたよく励んで理想的な親子関係、そして後継者として育った。ところが、ソンが時の権力派閥ではなく、敵対する少論側に傾いたことで事態は急変。朝鮮王朝は党派の争いの歴史と言ってもいいほど党争が繰り返されていた。こちらの党派の年表を開いて見よう。老論派と少論派は、元は西人派として同じ党派だったが、ドラマ「トンイ」にも登場した張禧嬪(チャンヒビン)を巡り対立するようになった。そのとき、英祖を擁立したのが老論派。そのため英祖は賢君と言われながらも、こと老論派についてはその勢力をそぐことはできなかった。これについては、「イ・サン」を2倍楽しむの「(3)英祖が恐れた党派、イ・サンが憎んだ党派とは」で詳しく解説している。

老論派はソンがいる限り、政治的立場が危うくなるため、ソンを陥れるべく謀反を企てる。英祖は、明晰な頭脳と知識で朝廷をリードし、民のことにまで心を砕く立派な指導者ではあったが、その性格は直情的で、ソンに対して次第に厳しく接するようになり、そんな父の厳しさからソンは、20歳を過ぎたころから性格も変わってきたとされている。中には、罪のない女官を殺害するといった奇行を行ったとも記録されており、これに激怒した英祖は一層厳しい罰を与え、それに耐えかねたソンは気絶することもあった。その後ますますソンに関する悪意に満ちた投書や、流言飛語が飛び交い、英祖はついにソンと会うことも拒絶。ソンは自らの無実を訴え続けたが、英祖は決して許そうとはしなかった。こうした状態が20日以上も続き、ソンはとうとう乱心し、英祖のいる大殿に忍びこもうとしたとの噂までたってしまう。これではだめだと、英祖は決着をつけようと自らソンを呼び出すが、病気を理由に出てこず、堪忍袋の緒が切れた英祖がソンに自害を命じる。しかし大臣たちに止められ、ソンも慟哭して謝罪したため、怒りが冷めない英祖は米櫃に閉じ込めた。
ソンは、米櫃の中で涙ながらに謝罪したが、英祖は許そうとせず、とうとう8日目に世子ソンは27歳の若さで生涯を閉じた。この時英祖38年(1762年)5月21日のこと。

今となっては、どこまでが本当なのか、すべてが老論派のでっち上げなのかわからないが、英祖はソンの死後、我が子を残忍な方法で死に追いやってしまったことを悔やみ、「思えば思うほど悲しくなる」という意味で「思悼世子(さどせじゃ)」とつけた。また、そんな後悔の念を綴った手紙「金縢之詞」を中心にドラマが描かれたのがJYJのユチョンが主演した「トキメキ☆成均館スキャンダル」だ。

オマンソクオマンソク★オ・マンソク(1975年1月30日生、175㎝、B型)
デビューは1999年の演劇「ファウスト」。2005年にはミュージカル「ヘドウィック」で「第11回ミュージカル大賞 男優主演賞」を受賞し、翌年には、映画「王の男」でイ・ジュンギが演じた“ゴンギル”役を演劇「爾(イ)」で演じるなど、ミュージカル、舞台俳優として着実に地位と人気を築く。その後、2006年KBS月火ドラマ「ぶどう畑、その男」で、ユン・ウネと共演し、田舎の独身男役でドラマ界でも注目を集める。歴史ドラマでは、2007年「王と私」で主人公のキム・チョソン役に抜擢。愛する人のために、自ら去勢し、内待になるという初めて王に仕える“内待”を主人公にしたドラマで話題となった。
筆者個人的には、この「ペク・ドンス」で扮した思悼世子のオ・マンソクが、これまで彼が演じたドラマのキャスティングの中で、一番、彼のカリスマ性が出ていたのではないかと、イチオシのキャスティング。

さあ、これから「ペク・ドンス」は中盤に差し掛かる。実在の思悼世子が、ドラマの中ではどう描かれていくのか?意表をつくそのドラマ展開を楽しみに。
「ペク・ドンス」は、10月1日より31日まで、BSジャパンにて、月~水の夕方5時から2話ずつ放送、作品公式サイトでは予告動画が公開されている。

■作品紹介
・制作:SBS、2011年
・話数:全29話
・出演: チ ・ チャンウク、ユ・スンホ、チョン ・ グァンリョル、チェ ・ ミンス
・演出: イ・ヒョンジク 「スタイル」「ロビイスト」、キム・ホンソン 「夜叉- ヤチャ -」
・脚本:クォン・スンギュ

kandoratop  「ペク・ドンス」を2倍楽しむ

BSジャパン「ペク・ドンス」
 ※2012.10.1~10.31 17:00-19:00 2話ずつ放送
「ペク・ドンス」日本公式サイト

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