【韓ドラコラム】朝鮮王朝第10代王・燕山君はなぜ稀代の暴君になったのか?

[2018年03月18日20時00分]  【ドラマ】

【韓ドラコラム】朝鮮王朝第10代王・燕山君はなぜ稀代の暴君になったのか?

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「七日の王妃」燕山君(イ・ドンゴン扮)より

約500年続いた朝鮮王朝には27人の王がいたが、その中で随一の暴君と呼ばれたのが第10代王・燕山君だ!ではなぜ彼が暴君と呼ばれたのか?歴史に残る燕山君と「逆賊-民の英雄ホン・ギルドン-」「七日の王妃」など多くのドラマで描かれるヨンサン君から考えてみた。ドラマ予告動画はタイトルをクリックして各公式サイトなどで公開している。

燕山君といえば、酒色におぼれ贅沢の限りを尽くし、逆らった多くの者を殺害した。しかし、邪魔者を消すのは何も燕山君だけではない。「根の深い木-世宗大王の誓い-」「六龍が飛ぶ」の太宗(イ・バンウォン)だって、「華政(ファラン)」の光海君だって、「イ・サン」「秘密の扉」に登場する英祖だって“粛清(士禍)”という名のもとに多くの政敵を追放したり殺害してきた。
燕山君が随一の暴君と呼ばれたのは、日常的に気に入らないものを殺害し、“粛清”という政敵の一掃を2度(1498年=燕山君4年「戊午士禍」、1503年(燕山君9年)~翌1504年(燕山君10年)「甲子士禍」)もやったから。特に2度目の粛清は母・廃妃ユン氏の死に関わった者を党派、身分にかかわらず皆殺しにする苛烈な復讐劇のように見られるが、実際には燕山君と任士洪(イム・サホン)一派が朝廷掌握を目論んで展開した殺戮劇だった。では、なぜそんな燕山君がそんな暴君になってしまったのか?
※以下、朝鮮王朝系図ドラマの年表:朝鮮王朝時代を参考にしながら読み進めてください。

■燕山君は名君・成宗の息子(生1476-1506年没)
燕山君の父は第9代・成宗、母は斉献王后(チェホンワンフ)・尹(ユン)氏。名前は㦕(りっしんべんに隆、융=ユン)。尹氏は、成宗の最初の王妃・恭恵王后・韓(ハン)氏が1474年に死去したことにより、1476年に正妃の位に就いた。その年に生まれたのが燕山君。尹氏は嫉妬深く度々成宗を困らせた。その都度尹氏をかばった成宗だったが、さすがに心が離れていき、3年後に王妃から嬪の位に降格される。さらには嫉妬に狂って成宗の顔に傷をつけ、成宗と母・仁粋大妃の逆鱗に触れ、1482年、王命により賜薬(毒薬)を下され28歳で死亡。
インス大妃(C)JTBC Co., Ltd. all rights reserved.
「インス大妃」より
「王と妃」「インス大妃」で仁粋大妃と尹氏の壮絶な嫁姑バトルが描かれている。ちなみに両方の作品でインス大妃役を演じたのはチェ・シラ。
「宮廷女官チャングムの誓い」 第1話「二人目の女」の冒頭で廃妃尹氏が登場する。また、この尹氏をヒロイン(ク・ヘソン扮)に成宗(コ・ジュウォン扮)と、そして尹氏を見守る内官(オ・マンソク扮)とで繰り広げる純愛悲劇として描いた作品に「王と私」がある。


■疎まれた世子
燕山君は生母が賜薬を下されて死んだことを知らずに、成宗の3番目の王妃、貞顕王后(チョンヒョンワンフ)・尹氏を実母と思って育った。しかし、燕山君(㦕)は貞顕王后に懐かず貞顕王后もまた廃妃が産んだ子に愛情を注げなかった。さらに仁粋大妃が燕山君に度を越すほどつらく当たった。生来の気質かそれとも愛されずに育ったせいか、燕山君は偏屈・気まぐれ、勉学を好まず、頑固で独善的という性向にあった。
「七日の王妃」よりLicensed by KBS Media Ltd. ⓒ 2017 KBS. All rights reserved
「七日の王妃」より
そんな燕山君の性格を父・成宗も好まなかったが、嫡男の燕山君を世子にするしかなかった。仁粋大妃は廃妃の息子が王位につくと後に禍を残すと大反対したが、他に王妃が産んだ男子がおらず、選択の余地はない。燕山君は1483年世子となった。
しかし、その5年後、晋城大君(シンソンテグン、後の11代・中宗)が誕生。仁粋大妃はこの大君を溺愛し、燕山君は孤独な子供時代を送った。
「七日の王妃」では、愛されなかった悲しみを、燕山君に少年時代を回想させることでうまく描き出している。演じたイ・ドンウクが心の闇を、憂いに満ちた眼差しで魅せてくれる。

■暴君の予兆は世子時代から
世子時代の悪たれぶりを表す有名な2つのエピソードがある。
ひとつは、世子教育を父王・世宗から受ける際、成宗がかわいがっていた鹿が燕山君の着衣を汚したことに腹を立てて、父王の目の前で鹿を足蹴にしたこと。もちろん、成宗は激怒したが、成宗が逝去して即位したとたんに、その鹿に矢を射って殺した。
もう一つは、世子教育を担当した2人の師匠とのエピソード。1人は厳格でもう1人は包容力のある優しい師。勉強嫌いの燕山君は、よく授業をさぼり、厳格な師匠に度々叱責された。幼い世子は、勉強部屋に厳格な師匠の悪口を書いた。ここまでは可愛げがあるが、即位後、厳格な師匠を殺害してしまった。(朝鮮王朝実録 【改訂版】より)
どちらも独善的で、恨みを決して忘れない粘着質な性格を表わしている。

逆賊Ⓒ 2017 MBC「逆賊-民の英雄ホン・ギルドン-」より
燕山君役(キム・ジソク)
■即位(在位:1494年12月-1506年9月)
18歳で即位した当時は、成宗の遺志を継いで無難に政を進めていた。しかし、成宗が起用した若い知識人たちの士林派官僚が、やたら先代王の教えを説き、道義だ、勉学だと口やかましく言うのに嫌気がさしてきた。これに乗じたのが士林派と敵対する勲旧派だった。(士林と勲旧については【党派の歴史】を参照)
勲旧派が燕山君に上手く取り入って、1498年に士林派を断罪する粛清を行った。これが“戌午士禍(ムオサファ)”だ。
しかし燕山君は勲旧派たちも自由にさせなかった。一部の勲臣たちを除去し、独裁を振るい始める。

■暴君の恐怖政治スタート
もう誰も燕山君に諫言できるものはいなくなった。その壊れっぷりは、現在の国立大学ともいえる成均館をキャバレー化したり、狩りを楽しむために都城から三十里内にある民家を撤去させたり、ついには伯母にあたる、美人と誉れ高い月山大君の妻にまで手を出した。その後月山大君の妻は自死。この妻の実弟が平城君(朴元宗=パク・ウォンジョン)。そんな燕山君の暴政を加速させたのが張緑水(チャン・ノクス)だ(詳しくは【韓国三大悪女】参照)。
贅を極めた行いで国庫は空っぽ。国家財政を埋めるために、民に重税を課した。それでも追いつかないとなると功臣たちの田畑まで没収しようとした。さすがに大臣たちもこれに反発したが、これを利用して朝廷を掌握しようと任士洪(イム・サホン)が暗躍し始める。
任士洪は、燕山君に廃妃尹氏のことを密告した。廃位されたことは知っていたが、詳しい事情を知らなかった燕山君は、1504年3月から10月まで7か月間にわたって、勲旧派や士林派の区別なく、母・尹氏に関わった官僚たちを次々粛正していった。これが“甲子士禍(カプチャサファ)”だ。
ここまでの暴政が続くとさすがに民衆も黙っちゃいない。全国からハングルで書かれた投書が上がってきたが、燕山君は「民がハングルで王を愚弄している」と激怒し、ついにはハングルの使用禁止令まで下してしまった。(参:韓国史劇でハングルがあまり出てこない理由
逆賊©2017 MBC「逆賊」より※多くのドラマなどでは、生母を死罪にされ、罪人の息子とされた恨みから暴君となったと描かれている。当然ドラマで恨みの矛先はインス大妃に向けられる。その憎いインス大妃も甲子士禍の渦中に亡くなっており、一応の目的は果たせたはず。ドラマでは目標を失った王がますます狂気を帯びて悪行を繰り返していく恐怖政治をショッキングに描かれている。
「逆賊-民の英雄ホン・ギルドン-」でも、キム・ジソクが演じた燕山君が民への重税や狩りなどのエピソードを退廃的なムードでうまく具現している。


■人倫と民心を裏切った暴君の末路
1506年、横暴を極めた燕山君はクーデター“中宗反正(チュンジョンパンジョン)”によって失脚。代わって即位したのが第11代王、中宗だ。このクーデターで燕山君に引導を渡した筆頭人物が平城君(朴元宗)だったこともあり、“朴元宗の乱”、“丙寅の変”とも呼ばれている。燕山君は廃位、流刑させられた後、わずか2か月、30歳という若さで病死している。もしかしたら廃王には持病があり、廃流地で治療を受けられなかったのかもしれない。
燕山君を語るとき、必ず出てくるのは三代悪女の1人、張緑水。彼女には夫や子供がいたが、夫や子供をすてて歌舞を学び妓生となった。その美貌と歌声の素晴らしさを噂に聞いて燕山君が見初めて後宮(側室)にしたのだ。他にも多くの後宮がおり、その中には張緑水同様に子持ちの妓生などもいた。もちろん正妻もいた。王妃は居昌慎(シン)氏という女性で、張緑水とは対極の女性でとても穏やかで慎み深い女性だったようだ。燕山君は、王妃や後宮との間に四男二女を得た。
燕山君と王妃慎氏の夫婦仲は悪くななかったようで最後まで添い遂げている。最期の遺言も「王妃に会いたい」という者からもわかる。燕山君廃位の後、慎氏も廃妃となったが、燕山君の死去後も前王妃としての気品を失わず生き、中宗も廃妃シン氏を前王妃として厚遇したという。
※朝鮮時代最大のクーデター“中宗反正”は多くのドラマで劇的に描かれており、「宮廷女官チャングムの誓い」や「女人天下」の冒頭の政変こそがこれだ。「チャングム」では、少女時代のチャングムが中宗反正に貢献したことで中宗から宮中入りを許された。
中宗の治世を舞台にしたドラマに「師任堂(サイムダン)、色の日記」がある。チェ・ジョンファが演じた中宗は担がれて王位についた弱腰の王を演じているが、「七日の王妃」では自らクーデターを起こす若々しい王をヨン・ウジンが演じている。(参:中宗についてはコチラで詳しく解説)


■廟号のもらえなかった王
ここまでくると、「幼少期に愛情をもらえなかった悲劇の王」という言葉では片づけられない。そんな彼は稀代の暴君として歴史に記されてしまった。
朝鮮王朝系図を見ると、王の名前には“祖”や“宗”がつくが、2人だけ“君”の王がいる。その一人が燕山君。そもそも王の名前は、本名とは別に死後に付けられた廟号(びょうごう)。“○○君”というのは生前から呼ばれていた名前。つまり、燕山君は暴君過ぎて死後に正式な名前(廟号)を付けてもらえなかったのだ。
ファジョン©2015 MBC 「華政(ファジョン)」より
光海君(チャ・スンウォン扮)
もう一人廟号のない王がいる。「華政(ファラン)」の前半のメインキャストとして描かれた光海君だ。しかし、彼を燕山君と同列に語るのは少々可哀想だ。これについては悲劇の暴君・朝鮮王朝第15代 光海君ってどんな王?光海君と金介屎(キム・ゲシ)は劇中どう描かれている?で詳しく解説している。
ちなみに“祖”と“宗”の違いは、祖が大きな功績があった王、宗は徳のあった王。

■稀代の暴君を新解釈で描いたドラマ
近年描かれるドラマでは“燕山君”の心の闇に焦点を当てている。その代表的な作品がDVDリリースをしたばかりの「逆賊-民の英雄ホン・ギルドン-」や、4月からWOWOWで放送される「七日の王妃」だ。この2つの作品は、燕山君を単なる暴君とせず、愛に飢えた悲しき王と描いている。

次回は、この2つの作品で描かれる燕山君を比べてみたい。

【「逆賊」作品詳細】【「逆賊」を2倍楽しむ】
【「七日の王妃」作品詳細】【「七日の王妃」を2倍楽しむ】

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