【韓ドラコラム】「イ・サン」貞純王妃はなぜあれほど正祖を憎んだのか?実在の貞純王后金氏紹介

2018年10月01日13時18分ドラマ

イ・ビョンフン監督×イ・ソジンで送る韓国名作史劇「イ・サン」は朝鮮王朝後期の第22代王・正祖の波乱の生涯を描いた作品!そんな正祖の宿敵として登場する貞純王妃のモデルである実在の貞純王后金氏を紹介!Youtubeにて予告動画が公開されている。10月現在、U-NEXTで全話配信中。

「イ・サン」は18世紀後半、500年の王朝史においてもっとも波乱万丈、紆余曲折の人生を送った王であり、進んだ考えを持ち、民主的な手で皆を包容した賢君、朝鮮王朝第22代目王・正祖、イ・サンの物語。史実とフィクションをうまく絡めた大ヒット史劇。

■貞純王后金氏(1745年生~1805年没)
貞純王后金氏は老論派の重鎮・金漢耉の娘。朝鮮王朝第21代王・英祖の正妃・貞聖王后徐氏が亡き後、2年後に2人目の王妃に冊封された。その時、英祖は66歳、金氏は14歳で50歳超の年の差婚。揀択(カンテク、王妃選びの選考)で、好きな花を聞かれた金氏が「綿花(木綿)」と答え、その理由を「民の服を作る素材になる」と答えたのが、王妃に選ばれた理由。
英祖の母は、ドラマ「トンイ」ヒロインがモデルで、トンイもまた実在の淑嬪崔氏(崔嬪崔)がモデル(詳しくはコチラ)。
崔氏は賤民出身で、英祖は幼いころからそのことで負い目を持っていた。そんな英祖には民を思う金氏に母を思い出したのかもしれない。

だが金氏は10歳ほど年上の義理の息子・思悼世子とは馬が合わなかった。しかも思悼世子は一族の政敵の少論派寄り。当時、老論派は世子の排除に暗躍していた。父・金漢耉に唆された金氏は、世子の非行を英祖に告発。英祖の怒りをかった世子は米びつ事件に入れられて餓死するという悲惨な事件に発展した。詳細はコチラ⇒イ・サン」米櫃で無念の死を遂げる悲劇のお世継ぎ“思悼世子”って?

その後、朝廷が世子の死に同情する時派と当然とみた僻派に分かれると金氏は僻派を擁護し、時派に近い世孫となった思悼世子の息子・李祘(イ・サン)と険悪な中に。第22代王・正祖として即位してもことごとく正祖の政治改革を反対した。

ソウルナビより「元陵」ソウルナビより正祖が急逝し11歳の正祖の息子が第23代王・純祖として即位すると、曾祖母として代理で政治をして、正祖が行った政治改革をつぶしていった。天主教(カトリック)を弾圧し、正祖の右腕だった丁若鏞ら南人系の実学者達の処刑や島流しにした。「辛酉迫害」と呼ばれたこの事件で、僻派中心の朝廷を樹立し、朝鮮の近代化を後退させた。3年後、純祖が親政を行うと隠居、翌年この世を去った。享年61歳、英祖と同じ元陵で眠る。

■なぜ、金氏はあれほど正祖を憎んだのか?
イ・ビョンフン監督の作品は、フィクションをうまく史実に絡ませるのが実にうまい監督。劇中の貞純王妃の行動も史実に近い。年の離れた王に嫁いだ貞純王妃は史実によると聡明な女性だったとある。後継者たちは一族が所属する老論派と敵対する派閥である少論派に近い。自身に子供が生まれなかった彼女に課せられたのは、思悼世子と正祖を排除することだった。

■ドラマの貞純王妃を演じたキム・ヨジン
劇中、貞純王妃は、痴ほうの症状が出た英祖の病状をひた隠しにしているが、史実にそうした記述はない。しかし朝鮮王朝でもっとも長く在位し、当時では驚くほどの長寿である80歳以上まで生きた王の最期としてはあり得る設定だろう。

そんな貞純王妃を演じたのは、「宮廷女官チャングムの誓い」でヒロインの厳しくも良き恩師、「華政(ファジョン)」では第15代王・光海君の参謀であり悪女として名を残した金介屎(キム・ゲシ)に扮したキム・ヨジン(1974年6月24日生)。1995年演劇『女は何で生きるのか』で女優デビュー。
演技幅の広い名女優、キム・ヨジンは2017年の現代ドラマ「魔女の法廷」では、正義の女性・児童犯罪対策部部長検事を演じている。

kandoratop【作品詳細】【「イ・サン」を2倍楽しむ】

★本サイトで掲載されている記事、写真については無断使用・複製を一切禁止いたします。

YouTube「イ・サン」予告動画
U-NEXTにて配信中