地上波放送前に予習!「赤い袖先」ジュノ(2PM)主演で注目度が爆上がりの朝鮮王・正祖(イ・サン)を徹底解説!

2023年08月29日19時00分ドラマ
『赤い袖先』 ©2021MBC

朝鮮王朝第22代王・正祖を描いた韓国時代劇はこれまでにも多く放送され、日本でも知名度の高い実在の王だが「赤い袖先」で2PMのジュノが演じ、さらに注目度UP!いよいよ9月1日からテレビ東京で地上波初放送されるのに先駆けて、歴史の中の正祖を徹底解説、ドラマの予告動画はYouTubeにて公開中だ。



「赤い袖先(原題:袖先赤いクットン)」は、一族が没落し幼い頃から宮女として育った強き意思を持つ女官と、悲劇的な事件で父を失い孤独に生きてきた王との切ないロマンス史劇。8年にもわたる徹底した調査に基づき執筆された同名小説が原作。
赤い袖先©2021MBC>ドラマでは忠実に再現した歴史背景や高水準のフィクション、映像美に加え、各登場人物の感情をより細かく描写し原作との融合に成功、骨太ながらも繊細なストーリーが高い評価を受けた(「袖先赤いクットン」放送後の韓国の評判)。そんな作品の主人公をジュノが演じ、「2021MBC演技大賞」で最優秀演技賞など8冠を達成したことで“正祖=イ・サン”がさらなる注目を集めている(【速報】「2021 MBC演技大賞」結果)。

■正祖は幼少期から命を狙われた?!(生没:1752年~1800年)
第21代王、英祖(ヨンジョ)の孫。思悼(サド)世子と恵慶宮(ヘギョングン)洪氏(ホンシ)の次男で名前は李祘(イ・サン)。幼い頃より文武に優れた人物で、1歳からすでに書物を読むまねをして周りを驚かせ、3歳から王子の教育機関の輔養庁(ポヤンチョン)で正式に王子としての勉強を始める。6歳のときの書は屏風になるほどのすばらしさで、英祖にとっては自慢の孫だったようだ。
祖父と父との確執で8歳にして世孫(跡継ぎ候補)となり、11歳の時に父が米櫃で非業の死を遂げると、幼くして亡くなった英祖の長男・孝章世子(ヒョンジャンセジャ)の養子に入る。正祖の父を死に追いやった老論一派(僻派(ピョクパ))から幾度となく命を狙われ、即位にもあからさまに反対されるが、洪国栄(ホン・グギョン)らに助けられ、辛うじて生きながらえた。24歳で英祖の代理で政務を執り、1776年に25歳で即位した。

■正祖は朝鮮の最後の改革君主!(在位:1776年~1800年)
即位直後に「予は荘献世子(思悼世子)の息子である」と宣言し、即位に反対した鄭厚謙(チョン・フギョム)らを失脚させた。英祖の「蕩平策」を引き継いで党派を超越した人材登用を試み、学術研究機関「奎章閣」を設置し文化事業の推進と学問を活性化させた。「辛亥通共」を導入して商業の自由化を推進し、逃げた奴婢を連れ戻す法律「奴婢推刷法」を廃止、「暗行御史」という密使を送って全国の政情や実情も調査させるなど、旧習にとらわれない新たな朝鮮王朝を目指した。そんな正祖の思想は「実学派」と呼ばれた。文武に秀でて孝心篤い人物としても有名な正祖は、自身の政治が独善的にならないよう奎章閣では実学派の文官たちと徹底的に討論もした。そして最後のプロジェクトとして、1796年、父・思悼世子が眠る水原に華城を作り遷都を計画するが、1800年6月に正祖が48歳で急逝したために実現は出来なかった。特に病床に伏していたわけでもなかったことから、老論に毒殺されたという噂も流れた。正祖の後を継いだのはわずか11歳の純祖だった。

■イ・サンは、韓国時代劇で人気のキャラクター
これまでにも王・正祖、または世孫(王子時代)イ・サンが登場するドラマは実に多い(参考:【ドラマの年表:朝鮮王朝時代】)。中でも2007年韓国MBCで放送され大ヒットしたイ・ビョンフン監督の「イ・サン」は、朝鮮王朝後期を舞台したドラマのロールモデルとされるほどの名作で、正祖を気品あふれる名演技で魅せたイ・ソジンの人気を不動のものにした。他にも「風の絵師」(2008)ではペ・スビン、「トキメキ☆成均館スキャンダル」(2010)と「キム・マンドク~美しき伝説の商人~」(2010)の2作品でチョ・ソンハ、「ペク・ドンス」(2011)ではホン・ジョンヒョンが演じ、映画『王の涙-イ・サンの決断-』(2014)では、ヒョンビンがマッチョな姿で戦う王を演じて注目を集めた。そして2021年ジュノが「赤い袖先」で次期王として法を改正して聖君になろうと冷徹で完璧主義者なイ・サンを演じた。

予告動画(Youtube)

kandoratop【作品詳細】【「赤い袖先」を2倍楽しむ】