【韓国歴史コラム】「イ・サン」に登場する洪国栄(ホン・グギョン)ってどんな人?
朝鮮王朝第22代国王・正祖とあつい信頼と友情で結ばれた側近ホン・グギョンは、ドラマ「イ・サン」でも2番手としてドラマを大いに盛り上げている。では、実在した洪国栄はどんな人物だったのか?(一部ネタバレあり)
※本記事は【「イ・サン」を2倍楽しむ】「▼実在の人物」よりリライトしたものです。
ホン・グギョンという人物は、ドラマ「イ・サン」でサンの即位に大いに貢献し、その後も参謀として権力の中心にいて、サンから強い信頼を置かれていた。ドラマでは、サンとグギョンの間は単に王と臣下という主従関係だけでなく、堅い絆で結ばれているように描かれている。しかし、52話で妹をサンに嫁がせて外戚になってからのホン・グギョンは、恐ろしいほどの権力を手に入れ、そのために今後とんでもないことをしでかしてしまう。
■実際の洪国栄(1748年 - 1781年)
洪国栄は、1772年科挙に合格し、朝鮮王朝第21代国王・英祖の時代に文臣となった。英祖の孫、第22代国王・正祖は非業の死を遂げた父・思悼世子への想いから、老論派への復讐心を抱いており、世孫時代から敵が多かったが、そうした政敵から正祖を守ったのが洪国栄だった。
そうした経緯があって正祖は洪国栄を右腕として重用した。即位した年にはドラマでも登場する奎章閣(キュジャンガグ)を宮殿内に設置し、国づくりに必要な人材を集めて革新的な政治をするための準備を始める。そして洪国栄を政治と全役人を統括する最高官庁である承政院の副承旨に電撃起用し、その後承旨に昇格させている(官職についてはコチラで紹介)。
さらに、精鋭を引き抜いて宿衛所(スグィソ)を創設し、王宮の護衛を担当させ、その隊長にも洪国栄を兼務させた。こうして洪国栄は、政事から人事、兵権までのすべての権力を手のうちにした。
さらに彼は正祖の即位を妨害したチョン・フギョムたちを失脚させ、政権を独占する“勢道政治”を始める。ところが、洪国栄は、儒教で一番大切とされている年長者を敬う心(長幼の序)が乏しく、正祖以外にはすべて対等に話し、態度も尊大だったと伝わっている。行動も粗野で多くの醜聞がささやかれた。さらに、王妃から子供が生まれないのを口実に、自分の妹を嫁がせて、外戚としての力も持った。
ドラマでは、この妹を成人(チ・ソンウォン扮)として描いているが、実際の元嬪(ウォンビン)は12歳頃で側室になった。すぐにでもお世継ぎが欲しいときにこの縁組では、“外戚としての力目当て”と言われても仕方がない。これについてはコチラで詳しく紹介している。
ところで、洪国栄が勢道政治をひた走る時、肝心の正祖は何をしていたのか?正祖は、今後の国づくりに必要な人材を集め、外戚や宦官などの謀反や横暴をなくす革新的な政治をするための準備をしていたのだ。正祖の偉業についてはコチラで詳しく紹介している。
ともあれ、正祖は、洪国栄のある程度の横暴は知りながらも彼に国事を任せていた。しかし、洪国栄にあまりにも権力が集中すると、彼に政治からの引退を勧める。しかし、一度握った権力はなかなか手放せないもの。ところが予想外に元嬪が1年で急死。正祖の正室・孝懿王后金氏が洪氏の死に関わっていたとして金氏暗殺を計画してしまう。これは未遂に終わり、1780年、お家取り潰しの上、故郷へ追放される。洪国栄の勢道政治は4年間と短いもので、流刑先で病死した。享年34。ちなみに洪国栄と正祖の生母・恵慶宮洪氏とは遠縁にあたる。
2PMのジュノが正祖を演じた「赤い袖先」では、この洪国栄をホン・ドクロとしているが、これは彼の字(呼び名)の“徳老(ドクロ)”を使ったもの(「赤い袖先」と「イ・サン」比べてみた①より)。
なお「イ・サン」ではこの洪国栄をハン・サンジン(「ヘチ 王座への道」)が安定した演技で演じており、「赤い袖先」ではカン・フン(「コッソンビ 二花院(イファウォン)の秘密」)が若々しく演じている。
「イ・サン」は、テレビ東京「韓流プレミア」にて、月~金の朝8時30分から放送中。第1話の冒頭20分を字幕付き動画は、MBC GlobalMedhia「Stream」で視聴できる。
◇テレビ東京「イ・サン」番組サイト
2023年5月17日-8月331日 8:15-9:11 再放送
2013年9月12日-2014年1月10日 8:30-9:30
◇YouTube|MBCレジェンドドラマ「イ・サン」関連記事(日本語字幕なし)
【作品紹介】【「イ・サン」を2倍楽しむ】