「私の国」エピソード0:視聴の前に知っておきたい時代背景(高麗末期~朝鮮初期)

2021年04月29日20時00分ドラマ
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ヤン・セジョン、ウ・ドファン、ソリョン(AOA)のキャスティングで送る「私の国」は、高麗時代の終わりから朝鮮王朝時代初期を舞台にしたアクション時代劇!第1話の前に、当時の時代背景を駆け足でご紹介、予告動画は作品公式サイトで視聴できる。



「私の国」は、製作費200億ウォン、撮影9か月、圧倒的映像美とスケールで描く、ロマンス・アクション時代劇。高麗王朝第32代王・禑王(ウワン)~朝鮮王朝第2第王・定宗(チョンジョン)までが舞台。

■エピソード0:高麗王朝(918年~1392年)
高麗王朝は、三国時代から新羅の流れを受け継ぎ、仏教文化が隆盛。儒教による統治理念も確立し、貴族文化の充実で、高麗青磁などの美術工芸品なども発展し、世界各地でも名が知れ渡る。だが、13世紀に入ると巨大帝国を築いたモンゴル(1271年国号を元に)の侵略で高麗は服従を余儀なくされ、皇子を人質として差し出し、元の王女を正室に迎えて王位を継承すつなど元の干渉を強く受ける。高麗王朝と元からの二重の収奪に民は疲弊し、高麗王朝の財政は枯渇。
弱体化する王朝で頭角を現したのは、数々の戦功で活躍した高麗の武将・李成桂(イ・ソンゲ)。一方、王朝は中国統一した明の圧力を受けるようになってしまう。
私の国ヒジェ(ソリョン/AOA扮)1388年、勢いを増してきた明を抑えるべく、32代・禑王(ウワン)と武将・崔瑩(チェ・ヨン)が李成桂に「遼東征伐」を命じる。李成桂は命令を決行すると見せかけて、鴨緑江(アムノッカン)・威化島(ウィファド)で軍を引き返し、王都・開城を攻めるというクーデターを起こした。世にいう「威化島回軍(ウィファドフェグン)」だ(参:威化島回軍した理由「四不可論」)。
※ドラマ本編は、「遼東征伐」の命令が出されたあたりから始まり、男装したヒジェが「愚かな禑王(ウおう)よ、遼東征伐を断念せよ」という戦争反対の壁書(貼り紙)を貼ったことから、フィ、ヒジェ、ソノの運命の糸が複雑に絡みだす。

私の国ep8李成桂(イ・ソンゲ)/太祖(キム・ヨンチョル扮)■朝鮮王朝(1392年~1897年)
実権を握った李成桂は疲弊しきった王朝の国家財政を立て直すべく、鄭道伝/鄭道傳(チョン・ドジョン)をブレーンに、奴婢の開放や田制改革を通して民心をつかみ、1392年高麗王朝最後の恭譲王(コンヤンワン)から王位を受けるという形で王位に就く。これまで構想していた理想の国づくりをするため国号を“朝鮮”と改めた李成桂は、朝鮮王朝初代王・太祖となる。
※主人公が3人の若者ということで、「私の国」では政や政治改革などにはほとんど触れておらず、朝鮮王朝の国家プランの立案者の鄭道伝の出番もほぼない。

■第一次王子の乱(1398年8月)
王位継承をめぐって王朝は大きく揺れる。太祖には8人の王子(6人は韓氏の子、2人は康氏の子)がいたが、長男は朝鮮建国に反対し1393年に病死。太祖の正妃・韓(ハン)氏は建国前に亡くなっており、太祖は建国に参加した継妃の康(カン)氏を寵愛し、康氏の長男が候補に挙がったが、国家プランの立案者の鄭道伝は、幼い次男で八男にあたる幼い息子を世子(後継者)にしようとした。
私の国ep12イ・バンウォン(チャン・ヒョク扮)五男・李芳遠(イ・バンウォン)は建国の際に一番の功労者だったが、野心家で武人としての能力の高い彼では、「宰相が中心となる政治」は出来ないと考えたのだ(参:「不滅の恋人」豆知識)。芳遠はこれに異を唱えた。さらに、鄭道伝は王権を強化するために、王子や重臣たちの“私兵”を遼東征伐する王の軍隊に合流するよう指示し、私兵の所有を禁止した。強力な私兵を持つ芳遠は、これに憤慨し、1398年8月私兵を動員し、鄭道伝や腹違いの弟である世子とその兄(康氏の長男)を殺害した。これが「第一次王子の乱」である。
※ドラマのオープニングに流れる以下のテロップで“私兵”に触れているが、これがクーデターを起こす切っ掛けとなったのだ。
臣下が太上王に言った/「革命の初期には護身のために王族と功臣に私兵を」/太上王は「そうせよ」と言った/『定宗実録』より
ドラマオープニング映像はこのクーデター当日。本編では第5話あたりから本格的にこのクーデーターにフィとソノ、そしてヒジェが巻き込まれていく。


私の国ep16フィ(ヤン・セジョン扮)、ソノ(ウ・ドファン扮)■第二次王子の乱(1400年正月)
第一次王子の乱が芳遠の一方的な勝利に終わると、芳遠は兄である次男の芳果(バングァ)を操り人形として世子の座につけた。王位に嫌気がさした太祖が隠居すると、芳果が第2代王・定宗になり、芳遠が世子となった。芳遠にはほかにもまだ2人の兄がいたが、芳遠のすぐ上の兄(四男)の芳幹(バンガン)は不満をあらわにし、1400年正月、武人の朴苞(パク・ポ)と共に私兵を動員して「第二次王子の乱」を起こす。しかし芳遠とその私兵がこれを鎮圧し、芳遠は世子の座を確保した。
※隠居した後の太祖は仏道に帰依したまま政治には全くかかわらなかったが、ドラマでキム・ヨンチョルが演じた太祖は最後まで政権に執着する。第14話以降からこのクーデタ―が「バンガンの乱」として描かれる。果たしてドラマではどう描かれるのか?

■ドラマのその後
私の国ep15イ・バンウォン(チャン・ヒョク扮)世子として本格的に政権を握ると、芳遠も鄭道伝と同じく私兵を廃止した。さらに、高麗王朝の文化を排除し始め、政務と軍制を分離する。定宗が在位2年で王位を降りたために芳遠が第3代王・太宗となる。即位後は王権強化のための制度的枠組み作りを徹底し、中央制度と地方制度を整備し、高麗の残滓を完全に清算する。さらに、軍事制度を整備して国防を強化し、土地や徴税制度の整備を通じて国家財政を安定させる。
※芳遠は王の弟、本来なら「世弟」とすべきだが「世子」として冊封されたところに、芳遠が第2代王・定宗の後継者ではなく、初代王・太祖の後継者として王位を継ごうとした強い思いが見てとれる。劇中バンウォン役を演じたチャン・ヒョクの気迫の演技に「チャン・ヒョクのドラマか?」と、主役を見失う視聴者もいた。

これまで多くのドラマで描かれた激動の時代を新しい視点で描く「私の国」は、好評発売、レンタル中で、BS朝日にて5月10日(月)より放送する。番組サイトも4月29日公開した。

BS朝日「私の国」番組公式サイト
 2021.05.10 月~金08:30-10:00
「私の国」公式サイト

kandoratop【作品詳細】【「私の国」を2倍楽しむ】