韓国ドラマ「私の国」最終回考:結局チャン・ヒョクは王様になれたのか?ドラマのその後

2022年10月06日07時58分ドラマ
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朝鮮建国の激動期に生きる3人の若者(ヤン・セジョン×ウ・ドファン×ソリョン/AOA)にスポットを当てた韓国ドラマ「私の国」最終回が、10月6日(木)BS-TBSにて放送された。アクションと男の友情で泣かせた最終回を振り返り、ドラマのその後を見てみよう。予告動画は作品公式サイトで視聴できる。



「私の国」は、高麗末から朝鮮初期の激動の時代に、市井の若者3人がそれぞれ抱える葛藤と、夢、愛を描く本格時代劇。ドラマの5つの見どころや詳しい時代背景、場面写真と各話のあらすじ(ネタバレあり、なし)、豆知識、インタビュー、メイキングなどは【「私の国」を2倍楽しむ】でまとめて紹介しいる。


■最終回まとめ最終回ネタバレあらすじ
フィの父ソ・ゴムを死に追いやった張本人がイ・バンウォン(チャン・ヒョク)であることを知ったフィ(ヤン・セジョン)とソノ(ウ・ドファン)。バンウォンは自分を殺しに来たソノにとどめを刺そうとするが、フィの頼みを聞き入れてソノを解放した。だが、結局バンウォンと上王イ・ソンゲ(キム・ヨンチョル)との父子の争いに巻き込まれたフィは、仲間たちの命を守るためにバンウォンが下した「フィと仲間たちの皆殺し」の命を取り下げるよう直談判に行くことに。ソノが同行するが、世子となったバンウォンの警備は厳しい。一瞬の隙をついて2人は城門に飛び込み、多勢の兵をソノが相手し、フィはバンウォンのいる大殿へ。バンウォンに剣を突き付けたフィは、自らの命と引き換えに皆殺しの命の取り下げを約束させた。大殿を出たフィが見たのは瀕死の友ソノだった。フィ殺害を命じられた兵たちが駆けつけたとき、一瞬、開いた城門の隙間の向こうに、涙を浮かべるヒジェ(ソリョン/AOA)がいた。ソノを抱きかかえヒジェに笑顔を送ったフィ。門が閉まった瞬間、無数の矢がフィの体に突き刺さった。

1年後、ヒジェは仲間たちと共に、フィとソノが遊んだ滝の傍で、フィが望んだ穏やかな食事をしていた。


■最終回を振り返って
若手人気俳優ヤン・セジョンとウ・ドファンが熱演した本作。特に史劇アクションは見事で、刺されても斬られても生き返る2人は不死身かと思ったが、最終回の2人の覚悟の死を号泣必死の感動だった。時にはそんな2人の熱演もかすんでしまうほどのカリスマ演技で魅せたのは、イ・バンウォンを演じたチャン・ヒョク。だが、最終回を若者2人の死で終わらせたことで、本作の主役が架空の人物の2人だと示してくれた。

ドラマはバンウォンが世子になった1年後に終わっている。チャン・ヒョクのファンの中には「結局、バンウォンはあれほど望んだ王になれたのか?」と気になる方も多いのでは?

その答えの前に…韓国時代劇ファンなら、チャン・ヒョクが演じたイ・バンウォンが後の朝鮮第3代王・太宗(テジョン)で、キム・ヨンチョルが演じたイ・ソンゲが初代・太祖(テジョ)だとお分かりのはず。主人公2人(フィとソノ)は架空の人物だが、本作には実在の人物が多数登場し、イ・ソンゲの家族構成や第一次王子の乱、第二次王子の乱など史実に基づいたエピソードも多く描かれている。だが、朝鮮開国のこの時代で不可欠な人物“鄭道伝(チョン・ドジョン)”が不在だ。イ・バンウォンの政治参画を大反対した人物だ。本作ではソノの父ナム・ジョン(アン・ネサン)がその役目を担っている。「私の国」考:朝鮮開国で鄭道伝(チョン・ドジョン)不在のワケは?“ナエナラ”と“ウリナラ”で詳しく考察している。

※参考:初代王・太祖、李成桂(イ・ソンゲ)の家族
 名前/称号
長男:李芳雨(イ・バンウ)/鎮安君
次男:李芳果(イ・バングァ)/永安君
三男:李芳毅(イ・バンウィ)/益安君
四男:李芳幹(イ・バンガン)/懐安君
五男:李芳遠(イ・バンウォン)/李芳遠:第3代王・太宗
六男:李芳衍(イ・バンヨン)/徳安君 ※夭逝
七男:李芳蕃(イ・バンボン)/撫安君
八男:李芳碩 (イ・バンソク)/宜安君:世子



■イ・バンウォンはいつ王になったのか?
実在の李芳遠と照らし合わせて、最終回でバンウォンは王様になっていたのか、そしてドラマのその後を紹介しよう。

・1398年:イ・バングァが即位(14話/全16話版)
バングァはもともと勇敢な武将だったが、権力志向はなかった。イ・バンウォンに担がれて王になった(第2代王・定宗)。しかし政治はバンウォンの遺志により進められた。

・1400年1月:第二次王子の乱(14話/16話/全16話版)
反乱を鎮圧した後、ますます権力を強めるバンウォン。ドラマではバングァが上王となったイ・ソンゲに「世弟は前例がないので、バンウォンを自分の養子にして世子にする」と説得に当たっているが、実際には、バンウォン自身が“世弟”より“世子”の方が政治的立場が強いから世子冊封を望んだ。

・1400年11月:イ・バンウォン王になる!
バングァは生き残るために、政事からは完全に距離を置き、享楽の中で生きた。それしか方法がなく、いたたまれなくなり譲位し、その後19年間もの間、隠居生活を送った。わずか2年2か月の在位だった。
つまり、フィとソノが死んだ1年後、ヒジェたちが滝の傍で食事会をした時にはバンウォンは王になっていた!

・1418年:譲位、第4大・世宗大王誕生!
バンウォンは、忠寧を世子に冊封し、その後すぐに譲位。上王として退いた後も軍事権を掌握し、息子の政務に助力した。

・1422年:イ・バンウォン死亡
譲位した4年後に在位17年10か月、56歳で波乱万丈の人生を終えた。世子時代を含めて王儇を強化し、国防、外交、政治、経済の韓国全般の基盤を築いた君主だった。ハングルを創った偉大な世宗大王が誕生したのはイ・バンウォン(太宗)のお陰といってもいいだろう。

ドラマの年表:朝鮮王朝@navicon(ドラマの年表:朝鮮王朝)韓国時代劇おなじみの時代設定だが、主人公を架空の庶民としたことで、他とは一線を画した「私の国」。この時代んい興味を持った方は、「六龍が飛ぶ」「太宗イ・バンウォン」などがおすすめ。また、この後の時代は「大王世宗」「根の深い木-世宗大王の誓い- 」「チャン・ヨンシル」などがある。朝鮮時代が舞台のドラマは【ドラマの年表:朝鮮王朝】で時系列に紹介している。

「私の国」作品公式サイト

kandoratop【作品詳細】【「私の国」を2倍楽しむ】